本日も記事をご覧いただきありがとうございます。ひろです。
人について考える。
今回のテーマは、
「神様」
です。
昼食も終わって、しばらく。
スマホを手にした彼の表情が変わる。
「ひろさん、時間大丈夫なんですか?」
「時間?」
「はい。淡路島一周の」
ああ、そうだった。
話に夢中になり過ぎて忘れるところだった。
現在、淡路島一周計画の真っ最中。
時計を確認すると午後1時。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
「まぁ、時間なら大丈夫ですよ。なるようになります」
「そうなんですね」
「ただ・・・」
頭の中に気がかりなことがひとつだけ。
「なんですか?」
「いえ。旅には目的が必要なので。なんか道中が楽しくなるような建物ってないですかね?」
今回の淡路島一周。仲間の家を訪れる以外は、ほとんど車道を自転車で走っているだけだった。
仲間の家への到着。
この目的は達成されてしまった。
淡路島一周まで、残っている距離は100キロ以上。
何か目指すものがあれば、もっと頑張れるかもしれない。
「イザナギ神宮とかどうですか?」
「イザナギって、イザナミと結ばれてたくさんの神々を生み出した。あのイザナギですか?」
「お! よく知ってますね」
「僕の地元は出雲なんで」
神話のふるさと出雲と言われるぐらい、僕の地元にはたくさんの神話が存在する。
「そのイザナギを祀った神社です。夫婦仲に効果があるらしいですよ」
「夫婦仲・・・。へぇ~。最後は黄泉の国で仲違いしたのに」
「そうなんですか!」
「そうですよ」
神様も実はケンカをする(笑)。
でも、興味深い。
イザナギの奥さん。イザナミがこの世に産みだした神様は、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ。
日本で最も有名な神々達。
生まれ変わりの話が出たあとで、神々の母と呼べるイザナミの神社が近くにある。
これは運命かもしれない。
「いいですね! 行きたいです。どこにありますか?」
「そうですね・・・」
彼はスマホで地図を検索し、僕の前にスマホを置く。
「ここからだと・・・。淡路島一周って考えると、寄り道になっちゃいますね。ここからさらに西に行くから。。南に向かってるひろさんからしたら、遠回りになるかも」
「ああ、そうなんですね」
どうしようかな。
「あ! そっか!」
突然、声が大きくなる彼。
「僕がこのまま車で案内したらいいんですよ」
「え? いいんですか」
「はい。今日、仕事も休みなんで」
「ありがとうございます」
「時間もあれなんで。早速向かいましょうか!」
僕らは店をあとにして、神社を目指し始めたのでした。
追伸
僕は昔から日本昔話が好きでした。
大人になってから見ると、
「そんな事ないやろ!」
とツッコミたくなるような展開もありますが、どんな話にも学ぶこと。教訓になる言葉が隠されています。
なぜ人は物語にして伝えるのか。
答えは簡単。
物語は人の心に響きやすいんですよね。
そう考えると、僕の中である仮説が生まれてきます。
昔から本当に神というものが存在して、作られた話が神話なのか。
それとも、
人に教訓を与えるために神という存在。
そして、物語が作られたのか。
神が先か、物語が先か。
もし、神が先なら、誰が神話を作ったんだろう。
神様の行動を見ていた人がいたのか。それとも、神様がこういう風に書いてくれと命じたのか。
もし、物語が先なら、神という存在を作ったのはなぜか。
人の心の安定をはかるため。
あるいは、
人の心を操るため・・・なのか。
正解は分かりませんが、深く考えることで何かが見えてくるような気がします。
今後はこういった考察を記事にしていくのも、面白いかもしれませんね。