人が思ったり考えたりすることって、瞬時に文字に起こしたら、1日どのくらいの文字数になるんでしょうね。
記憶している過去と照らし合わせ
確かにあの時そう感じたとかこう思ったとか、
記憶している過去を膨らませて想像をするときにも、
その過去映像から広がる想像上の思いや考え、
想像上の行動までもうまく文字に起こしていったら、
毎日毎日、同じことを繰り返し飽きもせず思って考えているなと驚いたり呆れたり、
記憶を引出しては今とリンクさせて考え、記憶からイメージしてこれから先を描いたりと、
様々なことを思考しているんだなと感じたりするんじゃないかと思っています。
自分の身体は今食べているもので維持されるけど、今の身体は過去に食べたものから成り立っていて、それはそのまま未来の身体作りへと繋がります。
自分の今の思考は今という状況に反応していることだけど、今の思考は過去の経験から学習して導かれたもので、それはそのまま未来へ繋がる思考となります。
現実も脳内も同じようなことをしているものなんですね。
私は過去に学び、今はポジティブ思考を心掛けています。
明るく社交的で人とコミュケーションを密にとるようなモリモリ前向き!という分かりやすいポジティブさではないのですが、
過去の延長線上にある自分を姿勢良く起立させ、
その先を思考するポジティブ思考でありたいと思っています。
姿勢良くって難しいんです。
子どもがお母さんに怒られて、小さく身を縮めてしまうのはごめんなさいの現れですが、気持ちが萎縮すると身体も萎縮して縮まります。
私は理解されないか、馬鹿にされるか、スルーされるような過去が多いので、生きていて様々な場面で萎縮してしまいそうになりますが、
そこを、
今の自分を姿勢良く起立させること、
「しっかりしなさい大丈夫だから」と自分を肯定していったことで、
それまでの過去の捉え方が少しずつ変化していきました。
今の自分を肯定していく作業は、過去の自分に倣います。
これまでの自分とほぼ真反対の行動をしていたのは無意識でしたが、
これまでの自分や自分の人生に不満があったのなら、ほぼ真反対の行動をとるのは何だか自然な気もしますよね。
萎縮して猫背だったのが、姿勢良くなったのは現実に現象としても現れ、姿勢が良いねと言われるようになりました。
思考と行動が一致すると、強く確実に今が在りたい方向に動きます。
そして同時に、
それまでの過去の出来事に対しても肯定的になるものです。
そう思うと、過去の辛く苦しく許せないと思った出来事に肯定的になれない場合は、それを消化するだけの作業がまだ必要な気がします。
大きくトラウマを負うような過去はまた別として、
自分の過去を未消化にせず、自分なりに消化して自分の構成要素の1つとして吸収させるような作業は、死ぬまでにすべき事のようにも感じます。
人が思ったり考えたりすることを、実際に文字に起こすことはかなり難しいと思うけど、
脳内を意識してみると、私たちの思考は過去の体験や経験に照らし合わせ、頼っていることに気づきます。
失敗を繰り返さないように行動できるのも、経験と照らし合わせた脳内作業のおかげです。
未来をイメージするのも脳内です。
イメージする未来が形になってくれたらと誰もが願いますね。
脳は過去の体験や経験に照らし合わせ、頼っているところがあることを考えると、
過去が「良い印象」であれば「未来は明るく可能性のあるイメージ」が作られやすく、
過去が「悪い印象」であれば「未来は暗く閉鎖されミジンコ単位の可能性すら感じない」
また時に、「破壊的なイメージが作り出されるようになる」ということになります。
脳のこんな働きからも、私たちは常に、過去も現在も未来にもリンクさせているということを知ることができます。
こうあって欲しい未来を望むなら、まず今現在のベクトルを望む方向へと変化させることで叶いますが、
そこに過去への痛みや不満や嫌悪があるのなら、それも意識して修正しながら進むようにすることで、
こうあって欲しいイメージがより一層可能性あるものになり、欲しい未来を手にすることができるようになるんじゃないかなと考えたりしています。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。