「食べることは生きること」を少しだけ考えてみました。

記事
コラム
「食べることは生きること」と言います。


食べることで身体の各組織に栄養が行き渡り、生命が営まれること、
「食べることで生命が維持される」ためだと私は考えています。

私たちは生命を維持するために、
食べることを諦められない、諦めない、
「常に食べることに挑み続ける」
そんな遺伝子を持っているのかもしれません。


貧困に苦しむ国は、
その日を生き延びるための飲み水と食料を確保することに必死です。

古代人は自然と共存していたため、
食べものを得るには動物に襲われる危険があり、
常に死と隣り合わせのような生活で、
食べることも命がけだった時代です。
いつ来るか分からない自然災害に備え、
食料の備蓄に知恵を働かせていたことでしょう。


「食べることに挑み続ける」って、
「食べることも生きることも放棄しないこと」だと感じます。


今の日本は豊かで、
食べ物を得るために動物に襲われるような心配はないけれど、
生活習慣病になったら自分で食べること(食生活)をコントロールしていかなければ、
寿命を縮めてしまいます。

摂食障害の拒食症は食べることを拒否しているから、生きることをも拒否しています。
過食症は食べて吐くので、食べること・食べ物を受け入れてもやっぱり拒絶し、生きることを拒否しています。

摂食障害の人も生きることを諦めないで
食べることに挑み続けなければいけないと感じます。


食べることは
「生命を維持すること」
ではありますが、

現代では「生きる力を与える役割」「生きるための活力」といった意味合いも含まれると感じます。

自分の好む物も、苦手な物も、未知の物も全て飲み込んで、
必要な物は消化吸収して自分の血や肉へと変化させ、
不必要な物、有害な物は排泄させる。

それが延々繰り返されるわけですが、

身体が行う生命維持の振り分けは
自分達の人生のように思い描くことができます。

良いことばかりじゃない
嫌なことも葛藤しながらも飲み込んで、
自分なりに対処を施し
自分の学びとして吸収させるところは吸収し
やっぱり不必要だった、
自分にとって有害なアレルギーでしかなかったものは即効排泄する。

そんな
選択と決定の繰り返し作業の連続です。


私たちは「食べること」「生きること」で強さを身につけていくのでしょう。


最近の自分は、周囲の環境にストレスを感じているので、
せっかく白湯生活で身体が整ってきたところ、
甘いものを食べ過ぎている傾向が出てきて、良くないなぁと感じています。

「食べることは生きること」だと考えると

こんな時って
どうにかして生きるために、
心と身体は環境に適応しよう、均衡を保とうとして、
闘っているんだなと感じます。

自分にとってこれはアレルギーかもしれないと感じているものを排泄できるように、
自分の行動をどうするべきか考えているところです。

「食べること」「生きること」のリンクはシンプルで、
少し客観視して自分の食行動を見てみれば、
自分の心が丸見えだなという気もしてきます。

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