一族の勇気ある選択

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最期は在宅か施設か

「お父さんを家で看取りたい」と
恐らくはあと数日の命であるご入居者様が、先日特別養護老人ホームからご自宅に緊急退所されました。

そのご入居者様は誤嚥性肺炎のため発熱、救急搬送で急性期病院に入院しましたが、急性期病院ではできる治療はなく、食べられないまま施設に帰ってきました。

施設に戻られてからも食べられないし水分を摂ることもできないので、施設往診医の判断により看取り期としてご家族様とのインフォームドコンセントとなりました。

当初ご家族様は「最期まで施設でお世話をお願いしたい」と言われていましたが、その翌々日には「家に戻して家族で看取りたい」と言われました。

「家に戻したい」と言われる2日前に「お看取り」となったので、コロナ禍ではありますがご入居者様とご家族様の面会が認められ、
熱心なご家族様は入れ代わり立ち代わり複数人が施設に来られ、ご入居者様の姿を見ているうちに気持ちが変わっていったのかもしれません。

「あの状況で家に帰ってどうするんだろう」
「私たちの介護が信用できないんでしょ」
「朝から夕方までずっと面会して、無理に食べさせて飲み込めないもんだから吸引して、そんなの繰り返して疲れさせて熱出てんのに」
「あーでもないこーでもないとうるさいから早くご希望通り退居させてよ」

などなど介護職員から声が上がり、緊急退所となったことで施設は一瞬騒がしくなりましたが、帰ってしまえばもう関わりのないご入居者様とご家族様となりますので、台風が過ぎ去ったあとのように現場は静かになりました。


賛否両論あるんだなと思ってご家族様と職員とのやりとりをみていました。
というのも私は在宅介護推進派なので、端からどんな風に思われようとも、

自分の人生が刻み込まれた家で、楽しかった苦しかった暮らしの断片を思い浮かべながら、愛する家族に囲まれて亡くなることができたら
これ以上に幸せなことはないんじゃないか、と思っています。

なので、往診医とのインフォームドコンセントの際に「最期まで施設でお世話をお願いしたい」と決断した後すぐに考えを翻したことも、
早朝から夕方までご入居者様の居室に入り浸っても、
食べられないご入居者様に好物だったものを食べさせたいと吸引しながら口にさせてあげたことも、
着替えさせてあげてない、吸引器が汚れている、などずっとお世話になってきた介護職員と看護職員に堂々と指摘したことも、

介護職員や施設の職員の立場からしたら、常識がない周りの迷惑を考えない人間というくくりかもしれませんが、

「お父さんのため」を押し通したご家族様は、本当に素晴らしいと思っています。


もちろん、これは私の価値観なので、いや今までお世話になってきた施設や職員さんに失礼だ、全然素晴らしくなんかない、という方もいらっしゃるでしょう。日本人の美徳を大切にした考えがどうしても見え隠れするのが、私を含め多くの日本人です。

ですが、このご家族様の素晴らしいところは、日本人の美徳をガン無視して、自分たち一族のことしか考えなかった、ことにあるのだと思いました。


私がこの特別養護老人ホームに入職した4月からもう何人もの方が特別養護老人ホームのベッド上で永眠されています。

「病院じゃなくて賑やかな施設で亡くなることができて良かったよね」
「いつもお世話している人に看取ってもらえて良かったよね」
相談員や介護職員は口にします。私も頷きます。


複雑な疾患を抱えていたり、重度の認知症があり家族が疲弊してしまってどうしても介護できないという方のための福祉施設ですが、

その福祉施設という場で亡くなることが当然である、とは間違いです。

もちろん、対象者様の状態にもよりますし、在宅で受けることができるサービスを駆使することが必要となりますが、

在宅で看取ることは可能なのです。


他のご入居者様がいて職員がいる賑やかな場で、お世話になっている介護職員さんの元で亡くなることが良い、悪いではなく、
選択はできるんですよ、ということは知って頂きたいです。


人間は、母親の元で母親と共に力を合わせて誕生するのに、
この世界から旅立とうとする時は共に力を合わせて旅立とうとしてくれる人はいません。
死ぬ時はどうあっても孤独です。

その人間の孤独な死の傍に、
家族が共にいるか、お世話になってきた職員が共にいるか、
自分の人生と共にあり彩ってきた在宅か、お世話になってきた職員がいる施設か、

シンプルに、そんな選択は可能なのです。

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