中小企業経営のための情報発信ブログ274:戦争を考える

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今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
さて、明日8月15日は終戦日です。今日と明日は戦争関連の本を紹介します。
今日は牧野邦昭著「経済学者たちの日米開戦 秋丸機関『幻の報告書』の謎を解く」(新潮選書)吉田裕著「日本軍兵士ーアジア・太平洋戦争の現実」(中公新書)を紹介します。
今年で戦後77年となり、戦後世代が全国民の85%で戦争の記憶は薄らいできています。しかし、平和を希求するためにも戦争の記憶を消し去ってはいけませんし、これからも語り継がれなければなりません。戦後教育でGHQから植え付けられた自虐的な歴史観は排除する必要があります。ここでは詳しく書きませんが、東京裁判という茶番劇で日本は戦争責任を負わされ悪者にされてしまいました。当時の国際法では国際法に則った戦争は違法でもなく国に与えられていた権利でした。ところが連合国側は、戦後新たな法律を制定しそれに基づいて日本を断罪しようとしたのです。これは明らかに事後法禁止・法の不遡及に抵触します。それでは勝った側は何でもできることになります。現実に東京裁判ではそれが行われたのです。
日本は追い詰められて戦争への道を突き進みますが、国際法上の戦争責任はないとしても道義的な責任は免れないと思います。先の戦争では多くの軍人・国民が死亡し、他国の罪なき人たちをも死に追いやりました。
ではなぜ、日本は戦争に踏み切ったのでしょうか。この答えを示してくれるのが「経済学者たちの日米開戦」です。著者の牧野氏は、摂南大学経済学部の準教授で、近代日本経済思想史の専門家です。
軍部(陸軍)は、昭和15年頃、秋丸次朗中佐が日本の戦力と米英の戦力を比較するための機関、通称秋丸機関を作り、東京大学経済学部教授有沢広巳らの経済学者らを中心に研究を行わせます。その秋丸機関は、日米の経済交戦力の巨大な格差を指摘する報告書を作成します。この報告書自体は破棄され残っていませんが、牧野氏は、他の書類や当時秋丸機関に所属した人たちの証言を基にその内容を明らかにしていきます。その内容自体は極めて詳細で難しいので興味があれば本書を読んでください。
問題は、秋丸機関が日米の軍事的・経済的格差を指摘したのに、軍部はそれを無視してなぜ戦争に突入したのかということです。
現在の目から見ても、誰が見ても勝ち目がないことは分かっていたはずです。牧野氏は、経済学者の視点から、「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が逆に「だからこそ低い確率に賭けてリスクを取ってでも開戦しなければならない」という意思決定の材料になったのではないかと指摘しています。以前書いた行動経済学の考え方です。「人間は合理的には行動しない」ということです。例えば、次の2つの選択肢があるとします。どちらが望ましいでしょうか? 考えてみてください。
 Ⅰ:確実に1000円支払わなければならない。
 Ⅱ:8割の確率で2000円支払わなければならないが、2割の確率で1000円もらえる。
人間が合理的であればより損失の小さい1を選ぶはずですが(2の損失の期待値は、-2000×0.8+1000×0.2=-1400 で1の-1000より大きい)が、実際には高い確率でより大きな損失になるが低い確率で利益が得られる2を選択する人が多いのです。一種のギャンブルに賭けるわけです。
開戦においても同じ思考がなされたというわけです。当時日本が選ぶべき道は
 Ⅰ:当時、アメリカの資金凍結・石油禁輸措置により日本の国力は弱っており、開戦しなくても2~3年後には確実に「ジリ貧」になり戦わずして屈服する。
 Ⅱ:国力の強大なアメリカを敵に回して戦うことは非常に高い確率で致命的な敗北を招き「ドカ貧」になるが、非常に低い確率でドイツが独ソ戦に短期間で勝ち、イギリスが屈服すれば、アメリカは交戦意欲を失い講和に応じるかもしれず、少なくとも開戦前の国力は維持できる。
の2つで、秋丸機関は1を指摘したにもかかわらず、軍部は少ない勝機にかけて2を選んだのです。
開戦理由の社会心理的説明として、当時日本にはリーダーシップを取れる人物がいなかったことが挙げられています。日本における戦争指導は、陸軍、海軍及び政府の三鼎立の合意妥協によって律せられるのが実相で、ややもすれば思想の統一と思索の決断及び一貫性が欠落していました。こうした集団的意思決定の状態では、個人が意思決定するよりも結論が極端になることが社会心理学の研究では知られています。慎重な人たちが集団決定すればより慎重な選択が行われ、逆に危険を厭わない人たちが集団決定すればますます危険な方向の選択がなされるのです。極端な方向に意見が偏る集団極化が起きるのです。
海軍はアメリカ海軍を、陸軍はソ連陸軍を仮想敵国とするという従来の思考法から抜け出せず、統一的な戦略を持たないまま戦争に突入していきます。その結果、太平洋戦争での被害は甚大なものとなりました。戦時下の人口被害は、沖縄を除き広島・長崎の原爆投下を含め、死亡者297,746人、行方不明者23,964人、軍人・軍属の被害は死亡者1,555,308人、負傷・行方不明者は309,402人とされ、沖縄戦による死者は188,136人です。そのような犠牲を被ることになったわけですが、「開戦しない」という選択肢はなかったのでしょうか。「正しい戦略」とは何だったのでしょうか。
「戦争回避」という選択をするためには、先ほどの2よりも1の方を変える必要があります。
プロスペクト理論では、人間は損失についての選択肢ではリスク愛好的になってしまう一方で、利得についてはリスク回避的になることが知られています。例えば、「確実に3000円もらえる」という選択肢と「8割の確率で4000円もらえるが2割の確率で1円ももらえない」という選択肢があれば、人は「確実に3000円もらえる」方を選びます。この場合にはギャンブルしないのです。
したがって、もし、秋丸機関が、「2~3年後にジリ貧になり戦わずして屈服する」というネガティブな思考ではなく「今戦わずとも3年後にアメリカと勝負できる国力と戦力を持てる」というポジティブな思考が出来ておれば「戦争回避」という選択肢がとられたはずです。
日本有数の経済学者で構成された秋丸機関が、日本とアメリカの経済格差という「ネガティブな現実」を指摘するのではなく、「ポジティブなプラン」を経済学を用いて効果的に説明できていれば日米開戦が回避された可能性があります。牧野氏は、「ポジティブなプラン」はあくまでも開戦論を抑えて時間を稼ぐレトリックなので、必ずしもエビデンスに基づく必要はなく、極端な場合事実や数字を捏造してもよかったと言います。しかし、当時の経済学者たちにそこまで期待するのはどうかと思います。
こうした状況は、今回の新型コロナ禍の政府と専門家会議の立場と似ているように思えて、面白いです。専門家の意見を無視して安倍・管政権が間違った判断に進んでいったのも似ています。
つぎに、吉田裕著「日本軍兵士」です。310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した太平洋戦争ですが、その約9割が1944年以降に発生しています。
本書は、「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗戦が濃厚となった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を明らかにしています。以上に高い飢餓率、30万人を超えた海没死と特攻、戦場での自殺、体力が劣化した補充兵、物資不足など悲惨の光景が描かれています。下級兵士の立場から戦争をみるということは、一般の人々の目線で見るのと大差ありません。戦争を「失敗の本質」としてとらえる上から目線ではなく、実際に戦争を戦いその犠牲となった多くの人の下から目線も重要です。あまりにも壮絶・悲惨な体験に涙が出ます。平和を希求し二度と戦争を起こさないためにもこうした惨状を語り継ぐことも大事だと思います。新書でありながら10万部を超えているのもよく分かります。
今はロシアによるウクライナ侵攻、さらには台湾有事が現実味を帯びてきています。こうした中、平和や戦争を考えるために読むべき本だと思います。
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