勝率が低い場合はなるべく、戦わない方が良いでしょう。
我々が経験で学んだことなのですが、この逆の教えがあります。
それは、子象のたとえです。
子象が逃げられないように縄で杭につながれました。
すると、象が成長して、杭を引き抜くくらいの力になっても、象は逃げないというたとえです。
これは、挑戦することを放棄するなという教えで使われることが多いです。
ただ、すでにわれわれが戦っても勝ち目がないと学んだことすべてに、再挑戦するすることは、労力が大きいです。
では、自然に学んで挑戦を放棄していることと、子象のたとえで、どこが違うでしょうか?
それは、第三者の意思です。
第三者とは、大人とか、社会が該当します。
子象の例では、象が逃げられないようにしようという意思が入っています。
自然界の純粋な経験則だけではありません。
このような意思が背後にある時には、再挑戦する価値はあるのかもしれません。
1192つく郎と共著