介護とは

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コラム
こんにちは、大塚周也と申します。
私が介護業界に勤めたのは2012年から2021年現在まで同じ会社で約9年間。
なにも知らない19歳から、介護福祉士を取りそしてケアマネージャーとして勤めあげてきました。
介護福祉士として現場で学んだこと、ケアマネとしてご家族様、ご本人様、そして専門職各担当者様のはざまで学んだことを少しづつお伝えできればと思います。

こういったブログとして発信することはなかったため、拙い文章や個人の主観が混じってのお伝えになってしまいます。私自身、より成長してまいりたいと思いますので、ご意見等ございましたら、いただけましたら幸いです。

さて、タイトルにあります、介護とはなんぞや。
ということをいま現在私なりに解釈していることは
介護とは、人対人の究極であると思います。

介護は一人の障害を持つ方への、障害に対しての援助を各専門職
(医師、看護師、薬剤師、理学療法士、言語聴覚士、作業療法士、栄養士、介護福祉士、介護支援専門員、福祉用具専門員、技師装具士などなど多くの専門職がおります。)がしていくことをいいます。

しかし、各専門職もその道のプロとは言え、人。その人、個人です。
人というのは、それぞれ異なる思考を持っています。
思考の糸で天が埋もれ、絡まってしまうのではないかと思うほどです。
私がよく忘れてしまい、思い出せないのも思考が絡まっているからでしょうか。(いや、違うか。)

ピーマンが嫌い。という人もいれば、好きという人もいる。

日清カップヌードルはエビをいかに乾燥からお湯で戻しておいしくなるのかでかなり試行錯誤をしたと聞いたことがあります。エビが入っていると豪華ですよね。天ぷらでも海老天があると、1000円以上でも納得できます。
蟹もそうですよね。海鮮といえば?蟹、うに、いくらがイメージとして湧く方が多いかもしれません。好きな人が多いと思います。

私はエビと蟹にアレルギーがあるため、食べれません。
食べたとすると、以前にぜんそくをしたこともあるので、呼吸困難になりがちです。よく、えー、もったいない。と言われます。(笑)

のように体質的に食べられないアレルギーの方もいらっしゃれば、昔から食べてないから嫌い。という方。過去に嫌な思い出があるから食べない。という方。様々な方がいます。

好きなものは甘いから果物が好きという方もいれば、嫌いな人もいる。

なにが言いたいかというと、全員なにかしらの理由、それを好きだとか嫌いだとか言う理由、起因があります。

人に対してもそうです。
私は父に殴られたり、大声で怒鳴られることがしょっちゅうあったので
父に似ている日に焼けた筋肉質の40代から50代の男性に話しかけられたり、にらまれると思考停止して、脂汗が出てきます。一種のトラウマですね。仕事上でもそうです。上司がそういう姿をしていると優しい上司でも嫌な脂汗が出てきます。

それと同じように人はそれぞれ、好き嫌いがあります。
介護を受ける方、介護をする方、お互いにです。

給料をいただいているプロとは言え人。
どうしても感情が出てしまう医師、看護師、現場の介護士。

ご高齢者の好き嫌い。この人はからは援助を受けるけど、この人からは絶対受けない。利用されている方の家族の方の好き嫌いの表出によるクレーム。

医療は人を治すということがサービスです。治療する。ということが目的です。
親しい業界である介護という業界は、その人らしい生活を支えること。なんです。これが難しい。その人らしいを支える。個人を支える。できないことを支える。

例えば、自宅で家族と同居している。軽度の認知症の80代のご高齢者の方。
家族の希望として、自宅で見ていきたい。本人もそれを望まれている。
心臓に病気があり、循環が悪く、体に水分がたまってしまうため、利尿剤を飲まれている。一人で行けていた時はいいが、転倒し骨折してしまい、病院へ緊急搬送。手術を行い、リハビリを行った後、自宅へ戻ることを希望され自宅に戻るも、入院中認知症の進行があり、トイレに行ったのに、忘れて何度も行く。足の筋肉も元通りにはなっていないため、援助が必要であるが夜になんども行くことや怒りの表出による殴る、蹴る行為があり主に主体的に援助をしていた長男家族、とくに長男嫁への負担が大きく、うつ病となり、耐えられなくなる。もう自宅では見れないと判断され、施設入居。身元引受人は本人と仲が良かった施設近く在住の次男となる。

入居後もトイレに何度も行ったり、家に帰ると玄関を蹴って出ようとする行為がある。スタッフはずっとついていることはできないため、目を離すことがあるが、そこで転んでしまう。なんども転倒される中で骨折されてしまい、日常生活を車いすで過ごすことが多くなるが、骨折し、ギプスを付けているのに認知症の進行により痛みを感じず、ここは家じゃない。家に帰りたい。と泣きながら歩いてしまい、転倒されたり、ほかの住んでいる方へ殴ったりすることを繰り返している。

医師からは、精神病棟へ入院してはどうかとの意見がある。

一緒に暮らしていた長男と長男嫁は自宅での経緯もあり、本人と話すことを望んでいない。施設入居の際、身元引受人となった次男はいままでの経緯を伝えている。なんとかしてあげたい気持ちがあるが、入院ついては否定的。施設でできる限りをしてほしい。と話している。

たとえが長く、わかりづらくすみません。
過去にあった実際のひとつ事例ではなく、実際にあった事例のパーツを集めて組み立てた例です。

こじれることはよくあることです。互いの理解ができていないことによる行き違いでこじれます。

本人の転倒の原因はなんでしょうか。家に帰りたいことです。
利尿剤のこともあるでしょうが、泣いてしまうほどです。家に帰りたいことが大きいのでしょうか。

次男はなぜ入院を否定するのでしょうか。

長男夫婦はなぜ向き合えないのでしょうか。過去のことがあるからです。

介護とは難しいものです。いろんな方の思いが詰まっています。

本人のつらい気持ち。
長男夫婦の負い目の気持ち。
次男は昔から親と仲が良く、なんとかしてあげたい。という気持ちが強い。
施設の思い、医師の思い。

好き嫌いから離れてしまったかもしれませんが
その人の思う可否、どうしたいのか、したくないのか。

施設としてはスタッフが殴られることもあって、もう援助をしたくないという集団での思いもあるでしょう。

医師としては、精神薬で調節するということを飛ばして入院を検討しています。なぜか。

家族の気持ちは聞けているのか。

その人をもう見たくないという負の感情が大きいのかもしれません。でなければ、施設で見ていこうと思うなら、本人の気持ちをよく伺い、なぜそういうことが起きているのかを考え、帰宅したい思いがあること、家に戻りたい気持ちや家族に会いたい気持ちがあるのではないかと考えること、医師とも家族とそれを話すことをしていくべきでしょう。

なぜしないのか。人だからです。感情なんです。
感情によってこの人はなになにだからと決めつけ、押しつけ終わりにしていることが多い。人対人となると、強い感情に振り回されがちになります。

かといって感情を無視はできません。
スミレがそこで咲いていることを美しいと思えること。
感情もち、情緒感じ、言語化できること。人が人であり、理解しあうことができ、しあうことのできないことです。

介護とは、人対人の究極であると思います。

人対人は好き、嫌い(可否 許可と拒否 受け入れと拒絶)のぶつけ合いです。
それを平均化して理解していくにはどうしたらいいのか。

そのために何が必要か。話すことです。
話して話して話して、情報を交換し合って、分かり合っていくこと。

専門職同士、家族同士、それぞれ交えて思いを話す。

話すことが重要だと思うのです。

もしも、行き詰ったときは話をしてみてください。
きっとなにかが見えてくるでしょう。

介護とはなにか。人対人。
人対人とはなにか。好き嫌いのぶつけ合い。
それを解消するにはどうしてたらいいのか。話すこと。







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