昨日の続きです。
昨日も書いた通り、加害者が100%悪いことに議論の余地はありません。
とはいえ、被害を受ける可能性がある者が何の予防策も取らなくてもいいとはいえないでしょう。
たとえば外国の非常に危険な地域にまったく無防備な状態で入り込み、何らかの犯罪に巻き込まれたとしたら、これも勿論、加害者に非があることは間違いありませんが、被害者本人の意識が低かったことは否定できません。
被害を受けてから嘆いても遅すぎるのです。
DJ SODAのケースでも、彼女は過去にそんな経験がなかったとのことですが、それが本当だとしても、運がよかっただけです。
大勢のファンと直接、触れ合うなんてことをすればそうした事態が起きる可能性は常にあります。
繰り返しますが、セクハラ行為をしたほうが悪いことはいうまでもありませんが、あらかじめ起きうる事態に備えるべきなのです。
彼女は
「私は人々に私に触ってほしいから露出した服を着るのではない。 私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」
「ウォーターフェスティバルで露出している服を着る事が間違っているの? 私は自分が着たい服を着る自由があるし、誰も服装で人を判断できない。私の体は自分のものであって、他人のものじゃない。私は露出した服を着るのが好きで、これからもずっと着ていくつもりです。だからみんな服装に干渉する人たちの顔色を伺わず、着たい服を思う存分着ながら生きよう!!」
と述べています。
よくある主張ですが、人は自分の好きな衣服を身につける権利があることは間違いありません。
しかし、人は社会的存在であり、しかも彼女は人気者なのですから、他人から注目されることは仕方がない。
そして彼女の服装を見て、どう考えるかはそれぞれの人の勝手なのです。
特に彼女のような格好を見れば性的なイメージを膨らませるのは当たり前でしょう。
大体、メディアではよく彼女を「セクシー」と表現しますが、「セクシー」とは要するに「性的」ということですからね。
彼女が自分を性的な目で見てほしくないというのは残念ながら無理な要求です。
勿論、だからといって彼女にセクハラ行為を行っていいということにはなりませんが。
ついでに書いておくと、彼女は「誰も服装で人を判断できない」とも主張しています。
これも手垢のついた紋切り型の言い分ですが、人が他人を服装で判断するのは当たり前なのです。
それ以外に方法がありますか?
その人の内面なんて知りようがないですからね。
外見で判断されたくないのなら、そんな格好をしなければいい、それだけです。
外見で判断されることがわかっているくせに、好んで個性的な格好をしておいて、私はそんな人間じゃないというのはおかしいでしょう。
人の服装は自己主張であり、それをどのように解釈するかは、相手の勝手です。
それが気に入らないというのはわがままでしかない。
話が逸れましたが、私なんかがいわなくても、今後は彼女も注意するでしょうし、運営側ももっと警備を強化すると思います。
それで彼女は好きな格好をして活動すればいい。
日本には二度と来ないでしょうが。
では