人生の終りに-延命治療と葬式

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昨日の記事の続きです。

誰でも人生の最終段階にさしかかるとどうしても死を考えるようです。

私も一時期、死のことばかり考えている時期がありました。

当然ながらものすごく怖くなります。

いろいろな人が書いた本を読みました。

でも納得できるような説明には出会わない。

まあそうでしょう。

だれも死を実際に経験したことがないので、頭で考えているだけなんですから。

昨日も書いたように宗教家や哲学者はわかったようなことや、悟ったようなことをいいますが、どうも胸に落ちてこないんですね。

その中で唯一納得できたのはどうせわからないんだから考えるなという意見です。

誰の意見だったか忘れましたが。

確かに、いくら必死で考えても正解なんか出るわけがありません。

上に書いたように誰も実際に経験したことがないんですから。

間違っているにしても、正しいとしても証明のしようがない。

じゃあ、考えるだけ時間の無駄じゃないですか。

いくら考えても死を免れることはできないことだけは確かですし。

それで私も死について考えるのを止めました。

死後の世界についても同じですね。

やはり証拠がなく、考えても答えがわからないからです。

ついでに書いておくと、人生の意味については、私は「遺伝子の舟」という考え方に賛成です(前に取り上げたことがあります)。

簡単に説明すると、人は遺伝子を乗せる乗り物であり、前の世代から次の世代へとつないでいくための存在であるということです。

歳を取ると、子供が大切に感じるようになり、いとおしくなるのもそのためなのでしょう。

すべての生物は子孫を残すことを目的としています。

それが本能なのです。

人間は知性がありますから、それほど単純ではありませんが。

念のためにいっておくと、自分で子供を持てない人、持ちたくない人が駄目だと言っているわけではありません。

一人ひとりは個人として生きているとはいえ、大きく見れば人間という種を構成しています。

そして、人間が種として存続するための、一翼を担っているのです。

自分が人間という集合体の一部であり、何かを受け継ぎ、そして、何らかの形で受け継がれていくと考えると死ねこともある程度は怖くなくなるでしょう。

それから、実際に死に臨んだ時にどうするかについては考えています。

まあ事故死とか心臓麻痺といった突然死であればいい、というかどうしようもないのですが、重病に罹ったときにどうするかですね。

私は費用が高すぎる場合は治療しないことにしています。

目安としては100万円以上かな。

私の命にそれほどの価値はありません。

ただし、高額療養費制度(医療費が高額になる場合に補助する制度)があるので、なかなか本当に個人負担がそこまでになることは少ないと思いますが。

そして、延命措置も拒否します。

いわゆるスパゲティ状態で無理に生き延びる気はまったくありません。

このことは息子に話してあります。

ついでに葬式についても一切必要ないし、遺骨は散骨すればいいといってあります。

まあ、死んだ後のことは私の問題ではなくなっているんですけどね。

最後に、ここまで書いたことは、私個人の話であって他の人たちを批判するつもりはまったくないことをお断りしておきます。

では

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