バイリンガルの知能指数

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何度か書いたように、私はカラオケが好きなのですが、同じ曲ばかり歌うのも飽きてくるので、ときどき新しい曲を覚えることにしています。

といっても最近の歌ではなく、自分にとって新しいという意味ですから、若い人に嫌な顔をされるんですが。

たとえば、ちょっと前はジプシーキングスの「ボラーレ」に挑戦しました。

ご存じかも知れませんが、この曲はもともとイタリア語で、それをスペイン語にしてカバーしたものがヒットしたわけです。

苦労しましたねえ、全然覚えられない。

やはり全然知らないスペイン語だからでしょうね。

これが英語だったらもう少しましです。

私は英語はできませんが、それでも学校で習っていましたし、英語の歌をずっと聞いていましたから。

そして、これがかれこれ40年以上触れているフランス語だとはるかに楽です。

もちろん日本語だとさらにずっと早く覚えられます。

誰でもそうなのでしょうが、意味がわかると覚えやすいということなのでしょう。

ただ、これだけ長くやっていても、私はバイリンガルではありませんし、ものを考えるときはもちろん日本語です(昔はフランス語で夢を見たこともありますが)。

ここから強引に話を今日のテーマに持っていきます。

ちょっと前に池田清彦氏の「この世はウソでできている」を読んだのですが、面白いことが書いてありました。

(以下引用)

「ネイティブな言語をつかさどるのは脳のある決まった領野だけなのだが、英語と日本語のネイティブ・バイリンガルの人の場合はその領野を英語と日本語でシェアしている。ネイティブ・スピーカーの定義は『自分で喋っている言語を無根拠に正しいと確信している人』である。(中略)英語と日本語のネイティブ・スピーカーだったとしても、英語の方が思考のメインになっている人と、日本語のほうがメインになっている人がいるわけである・・・(後略)」

そして、筆者はネイティブ・バイリンガルであることの思考力への影響力をネガティブにとらえていると述べます。

そうなんですよね、私も同じ考えです。

よく本当に言語ができるようになるということはその言語で考えるようになることだといわれますが、たとえば英語と日本語のバイリンガルの場合、英語で考える場合と日本語で考える場合、同じ結果になるのでしょうか。

たとえば、バイリンガルの人のそれぞれの言語での知能指数を測ってみると面白いと思います。

池田氏が「思考力への影響力をネガティブにとらえてる」というように、どちらの言葉でも大した思考ができないような気がするからです。

つまり、日本語だと100の思考力があるとすると、バイリンガルの人はどちらでもせいぜいが70程度だろうということです。

池田氏は「論理的思考を突き詰められた人というの単一の言語でそれを成しえているように私には見える」としています。

私程度の語学力の人間がこんなことをいうのは僣越だと思いますが、何かをなし遂げようとする人は、あまりバイリンガルにこだわることはないのではないでしょうか。

相変わらず子供をバイリンガルにしたいと考える親が多いようですが、それに伴うリスクも十分に認識したほうがいいでしょう。

被害を受けるのは子供ですからね。

では。

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