子供の社会

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コラム
 前回大人のパワハラについて自分なりの考えを少し述べたので、今回は子供のいじめについて考えてみたい。
 個人である子供が、自と他を最初に認識する関係は大多数が親子だ。子供にとっての初めてであり最小限の社会と言えるだろう。この時点で置かれる環境はそれぞれで甘やかされる者、厳しく躾けられる者、或いは不幸にも虐待を受ける者もいて、後の性格にも大きく影響してくるだろう。しかし、家庭環境は家族の構成、地域性なども含め千差万別であり、保護者である親からして子が出来て始めて親になった初心者であるから、後におこる問題を事前に防ぐことは不可能だろう。私は親になって三十年経つが三十の子の親としては初心者である。ただ、これだけは言えるが極端な育て方はよくないだろう。甘やかすにしろ厳しく躾けるにしろ、度が過ぎれば必ず歪む。
 やがて、保育園や幼稚園を経て、あるいはそのまま家庭にとどまり時期がくれば義務教育を受けることになる。もしかしたら既にこの時期には問題の火種は発生しているのかも知れない。しかし顕在化するのはもっとずっとあとである。問題が表に出てくるのは子供の自意識がもっとしっかりと確立し始める思春期前後になるのが一般的なのではないだろうか。幼児期に自死を意識したり登園、登校を強く拒否したりは余りしない。登校を拒んでも親に押し切られるのが大半だろう。これが事の根深さの一因とも言えるだろう。
 人生に於いて一番多感な時期にいじめの被害者は、たった一人で悩みを抱える事になる。一見何の問題も無いようにみえる温かい家庭でも、むしろ当人が優しく思いやりがある子であるほど、親や家族には相談できない、親を悲しませたくない困らせたくないからだ。
 親のほうがアンテナを張るしかない。些細なSOSも見逃さないように子供の言動に関心をもつ。過干渉を嫌うようであれば適度な距離を保つように見せかける。我が子をいじめられる立場にもいじめる側にも立たせてはならない。出来る限り。
 何人たりとも大切な我が子を理不尽に傷つける権利などあろうはずがないし、その逆もしかりだ。無責任な立場から、いじめられる方にも問題があるなどと言う輩もいる。そうだろうか・・・因果というのは、単純に原因から結果へと繋がるものではなく、様々で複雑な外的な要因が与える影響が強いと考える。同じ実からとれた種でも植える土、水や日の光の質や量で育ち方は違う。ましてや未熟な子供の事ならなおさらだ。家族。地域、学校に責任があるのは当たり前のことだ。場合によっては、追い詰められた子供の環境を、周りの大人達の力によって強引に変えてしまうことも必要なのではないだろうか。鉄は熱いうちに打てと言うし、若いうちなら木も曲がる。仕切り直せばいい。
 今回、いささか抽象的になってしまったので、次の機会に実体験を踏まえた上での思いを綴りたい。



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