思えば成るのは、気づきが連鎖するから

記事
学び
氣功施術をしていると、はっきりわかります。
結果を思って手を当てれば、
もうその時には既に思う前と違います。
変化があります。

本来、誰にでもできることですから、
思ったら変化があることに、
特別何か感じないですが、
ただ、明確なのは思うと変化することです。

実は、全ての事がそうです。
思ったら、既に変わっています。
変わった、というのは、
変わったことに気づき、認識して、
その時やっと、私達は変わったと思います。

思ってなることは、成るのです。
でも、この気づくことというのが、言語以上に、
想像以上に難しいことなのです。

何故難しいのか。
成長期の身長を思い浮かべてください。
一年で、5㎝伸びた、10㎝伸びた、
というようなことが起こります。

1年や半年なら、わかるのです。
また、たまに顔を合わせる親戚などの立場なら、わかるのです。
自分で自分の成長に気づくのは、
何か記録しなければ中々気づきません。
本来、毎日身長が伸びているのに、
毎日伸びた事は、私達は全く気づくことができません。

思って成る、というのは、
毎日の身長の変化に気づくことくらいの小さな事を、
いつも気づく力が必要だという事です。

気づくとは、言葉では一見簡単そうですが、
単純なことは難しいもの。
また、すごい事、
というのは世の多くの人が思うような派手なことではなく、
至極当然、当たり前な事の中の事です。
本来持つ人間や自然界のそのものの現象の中のことです。

私達は、殆どこの世の本当の姿がわからない。
私自身も含め、わかっているつもりなだけで、
わかっていないのです。

だって、心が本当はどこにあるかもわからない。
胸にあるって、本当ですか?
本当にそこに、胸に、確固として心が存在しているでしょうか?

そんな所にないのです。
当たり前の大前提は、そんなことにも気づけない。

自分の認識している世界は、本当にそれが真実でしょうか?
当たり前は、本当でしょうか?





サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す