氣功は本質

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どのような世界も、仕事も、スポーツも、武道も、生活も、
突き詰めると氣の話になります。
氣とは「思う」ことです。思う故に人間は動きます。

例えば「~したい。」は希望です。「~する。」は決めたことです。
決めたことは行動になります。
思うとは「~する。」です。
「私は~のプロになる。」
「私は~の専門家になる。」
「私は~で働く」思って、なります。人間ならば必ずです。
思わずしてそうなっても、最後は自分の意思です。

私は、氣功を深めるために合気道もやっていますが、
合気の世界ならば例えば円の動きが大切です。
だから、円をきれいに描き動くことも大切ですが、
一番大切なのは円を思うことです。
「ここに円があり、自分は円で、円の動きをするのだ。」
そう思わなければ円の動きになれません。

商売だって同じです。お金を稼ぐために仕事をするのでは、
失敗するのでやらない方が良いのです。
起業するということは、自分はこの商品で、サービスで、労働で社会と関わる、コミュニケーションを取る、与えるという意味なのです。
結果お金になり、それが喜びであるから続けられます。

お金の為なら、続けられない、エネルギーも生まれない。方向性もブレる。
ただ奪おうとするだけです。だから、騙す、勧誘という形になり、場合によっては苦しみになる。

日常生活なら、ストレスのない生活というものを送るには、
ここで言う「思う」、そうなる、そうする。
が、いつもできることがストレスにならない。
つまり、意思を通すことができること。自分の正直な心の声を体現できること。我が儘とかではなく。

それは、簡単な事であり、行うのは難しい。
何故なら、人との関わりがあり、相手や場のグループの事を考えると、できないこともあるからです。
でも、状況が、誰が、と周囲のせいにして自分の決定を曲げていてはストレスはたまるばかりです。
私達は人にさせられた自分の行動に怒りや悲しみ、不快を感じます。

でも、こういう状況で仕方ないからとか、あの人が皆が言っているからとか、そういう理由で自分の動向を決めているのは「自分の意思」です。
思うことは「氣」です。

氣はこの世の理の本質に多く触れるものです。
それなのに、宗教(本当は宗教は悪いものではないですが。)だと言われたり、怪しいと言われたり、勝手に表面的な印象で判断される。そんな事が多すぎる。突き詰めれば全て「氣」になるのですけどね。

いずれ、そういう感性が主になる世界がやってきます。氣はやり方ではないから、中々その本質に気づく人は多くないですが、でも、気づく人たちがこれから増えて行くだろう、と思います。

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