他人のニーズから離れていく極意

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他人のニーズから離れていく極意

他人のニーズに耳を傾けるにとどめ
今まで他人のためにがんばろうとしてしてきた
その自分の肉体のニーズに耳を傾ける
かつ、実際行動してあげることです。

その行動とは、どこかへ行ったり、
何か高いものを買うとかではなく
(それももちろん必要な時があります)

その場で、できることが大半です。

だって、喜びは場所に関係なく、感じるものでしょう。

喜びそのものをあげられなくていいんです。
苦しい場所にいるならなおさらです。

それをすると、楽に感じる
そこを積めていくことです。



たとえば、定期的に外から
空気を取り入れ
(雰囲気がらりと入れかえる最良の方法です。)

その場の雰囲気よりもよりリラックスに近いものが
入ることで、心臓、呼吸のリズムが変化します。

心臓は指先、肘、肩、首、胸筋、胸腺、肺、肋骨、
周辺臓器と骨格筋、不随筋、神経系、甲状腺ホルモンと
つながって緊密に連携プレーをしています

指先が冷たい時は、肘こり、肩こり、首のこり、
などと連動しています。筋肉がない方は、関節、その他
の周辺部位と共に冷たいはずです。

心臓は愛、肺は呼吸、つまり脳と周辺神経に影響を与えます。
思考に影響を与えますが、切り離そうとします、つまり、遮断です。

最初は、それをすると
やらないより
まし、何も起きないけど
若干マシ
そんな悲しいところから
スタートすることが

喜びかもしれず
喜びに続く道かもしれません。


以下のお話はかつての私で、例えです...

わかりやすくご説明するために
お話させていただきますね。

日常会話からいつの間にか
誰か、あるいは、複数の人の困りごと相談会へと
発展してしまい、そのまま話を聴き続けると、
一方的聞き役になっていき
あるいは、その会話に参加しないと
その場から出られないような雰囲気を醸し出す時のことです。

(それは意見を求められる、意見を伝えなければならなくなる、
ずっと前の状態です)

そういう時、私の肉体の声ははっきりサインを送ってきます。

話の内容が明るいものなら、心臓は音符を発するように
(これは、主観で感覚的なものです)

心が軽く、心が上がり、広がりとその場の一体感を感じます。

(これは主観ですが、人は主観からしか
自分を精査できないものです)

反対に誰かや根拠のないネガティブな内容
誰か一人の一方的で終わりのみえない会話なら

心臓の鼓動が徐々に早くなります
鼓動が大きく早い時というのは
呼吸は浅くて、神経が過敏
緊張している状態ですよね。

これらは、どちらも肉体の声です。

こういう状態の
私の肉体の声は、その場からすみやかに
かつ、おだやかに離れるまで

だんだん、サインを大きくして
伝えてきます。

それは、いい感じとは
真逆の感じ方として
伝えてくるんですね。


ここでは、その自分に責任を持つ
必要がある、学びをしている
ということなのですが...

そこに気づいていないと

外側の状況に簡単に流されていきます。
他人の話に流されてしまうと
あるある、私もー、などと、言ってしまったが最後

完全に、今ここの自分から切り離された状態です。
その代わり、ネガティブな同調をしています。

気持ちが落ち込む時、思考は良い事は考えられません。
(あなたもチェックしてみましょう。)

ネガティブな同調をしていた私は
そんなことに気づけず、ただ、周りに合わせることを
何か言わなくちゃと思ったものです。

当時、ずっと前の過去となってしまっている話を
思い出しては、掘り返していたんですね。

すると、もう戻すことができない、実在しない
そういう過去を、今になんとかして
無理に投影しようとしている状態ができあがります。

感情は、過去も今も関係ありませんので
記憶の再生を投影します。

そういうこと、あなたにも、ありませんか?

どうしても、そこにいなければならない場合は
自分なりに一工夫するといいでしょう。

色々あります。

イヤホンやイヤーポットで
リラックスできる音楽を耳に
聞かせてあげるなどでも
いいでしょう。

心臓の鼓動は嘘をつけません。

表面的にどんなに可哀想で、どんなに善人の他人であっても
(その人もどこかで、もらってきた負のエネルギーかもしれません)
ネガティブに満ちた言葉のゴミを
知らず知らずのうちに周囲の身近な人に
撒き散らかしたり

知らず知らずのうちに自分の
ストレスとして溜め込んで

わからないまま、考え方や感情の毒
言葉のゴミとして吐く側面を強化してしまっている
かもしれないのです。

これは、誰でもありえる日常のことです。

そうならない健全な方法は、まず自分から

自分の思考を見張る、
自分に気づく許可を与えている、
意識の使い方です。


ネガティブな状況に対応しながら
後から自分で必要なフォローをして
辻褄を合わせているだけです。

そして、それは一人になれる環境を作って
安心していられる場所で初めて気づける事
がほとんど。


思考は自分を偽れます。嘘をつけます。
その嘘は、自分を自分の健康から、じわじわ遠ざけます。
それは、肉体の声に心を閉ざすことへとつながり

子供の頃に満たされずにいた方法で
インナーチャイルドが
爆発するように訴えてきます。

それが怒りで、そういうことは誰にでも
程度の差はあれ、経験します。

かつて私もそうでした。
その時、言葉のゴミを吐いているつもりは
毛頭ありませんでした。

周りに合わせていないと、
ストレスを抱えるよりも
辛い目に遭わさせられる気がして

それが怖かったのです。

これが集団の意識がネガティブな
方向へ傾くこと幻想です。

幻想から抜けたくても、どうしていいかのか
わからないのです。

嫌だな、に考え方が向かうと
ただ苦しいのです。

それは、環境を大きく変える必要と
いてもたってもいられなくさせる心配の原因です。

ネガティブな状況を変えるために
大きな変化を起こす時、大きなエネルギーが動きますので
その分、抵抗に合う時も大きいです。


幻想の解放は、まず、自分がしていることを止める
その方法を自分なりに納得して実践から体得する必要があります。

ここで、間違いや正しさにこだわると自分で自分を
足枷にはめてしまうことにつながります。
(そこの部分が仮にお金なら、自分の収入の
道のどこかに制限をつけてしまいます。)

思考はもともと単純なのですが、単純であることは、
その分、物事を複雑化することもできる、ということです。

感情は複雑な思考ではなく、喜怒哀楽で表出です。
思考優位(に譲り)、(心を)閉ざすことで
複雑にみせているだけです。(それが思い込みです)

その自分を正直に認めるところから
スタートすること

ちょっとでもいいから、最初は感じられなくても
いいから喜び選ぶこと、楽を選び続ける事を
諦めない事

それは自分の思い通りの人生に
舵取りをする舵を握ったばかりの状態です。

最初は長い長い道のりに感じられますが
一つ一つ取り組んでいくとやがて
これまでと逆転する時がきます。

その原点として、日常を丁寧に生きる、
自分を愛する、学びは必要なんですね。

小さなことからでいいいですね。

自分が放つ言葉
取り入れる言葉に留意することはもちろん

むしろ、小さな事を丁寧にやってあげる
その自分を感じることで


まず他人ではなくまず自分に喜びを。
それが幾重にも積み重なると

いつのまにか
他人のニーズに耳を傾けながらも..

自分の幸せに、つながっているわ〜
という私の実感につながります。

私の実感が積み重なる時
ワクワクして日々を過ごしている
(他人のニーズから離れている自分)
に気づけます。

やってみてください。
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