冬至は2022年スタート、そして、カルマって?

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「カルマ」と聞いてみなさんは、何を思いますか?

「カルマ」とは、ブーメランのごとく、「法則」と呼ばれるほどの
影響力ある言葉です。

それは、おそらく根底に、この世が三次元で、私たちが時系列の物理法則が成立する中、社会生活を送っている。からだと、私は思います。

私たちは、重力に逆らって肉体を維持し、原理原則の下で様々な事柄について、様々な視点から、学んでいる意識存在です。

そこをもとに、「自分がしたことは、良くも悪くも関係なく、自らに戻ってくる」というしくみ、として解釈がなされているのではないでしょうか。

ところで、『カルマの法則=バチが当たる』
ちょっと、古臭い言い方します。笑

子供の頃に、私がよく耳にした言葉です。みなさんは、いかがですか?

私は小さな頃、人を笑わせるのが好きでした。いたずらを、よくしました。

いたずら、といっても、たとえば、当時、飼っていたうさぎを散歩に連れ出したり、ムスッとした顔の両親の肩に、つがいの小鳥を乗せてあげたり、蟻をつかまえて、手のひらの上を歩く姿を見せてあげたり、という具合です。

すると、周りの大人たちは決まって、悪いことをすると、バチが当たる、と言いました。

それは大人にとって、それはしてはいけないこと、すると危ないこと、悪いことになるんですね。おそらく、子供の為を思ってのことでしょう。

一方の子供の私にとっては、疲れ切った姿の両親、怒りや悲しみでいっぱいになっている周囲の大人たち、に、ただ、笑わってほしい、一心でしたことでした。

それをふと思い出したので、カルマについて、今の私の目線から、みなさんに、スピリチュアリズムや、スピリチュアリティを学び、考え、理解する上で、お伝えできることをブログにしています。

長くなりましたが、『』という意味には解釈しないでください。

起こることに、意味(解釈)を持たせれば、原因があるし結果がある。だけです。

もし、善悪の判断があるなら、さらに、少し意味(解釈)が変わるでしょう。

どういう意味かというと、物理次元でみると、どんなこともすべて、自分に起因し、無意味なことが無作為に起こることはない、というような、意味になると思います。

法則をつけるなら、原因と結果の法則になります。ね。

ところで、これを精神的な心のめでみると、私たちの内面と、私たちの宇宙は一つ。鏡の法則という具合の意味になると思うんです。

面白いですよね。あれ、面白くありませんか?
同じことを言っているのに、不思議と全く違う意味にも捉えられませんか?

面白い、と言いたい理由は、ここまで述べたことを、私も、そして私の文章を理解できるみなさんも、「ある種のフィルターを通してみている」そして、「その自分を許している」からなんです。


例えば、「誤解された、とばっちりを受けた」とか、「騙された、損をした」とか、相手に非があると思われることであっても、なぜそのような出来事が起こるに至ったかを、スピリチュアリズムの観点から紐解こうとすると

「自分の中に原因となる何かが存在する」ということになります。自分の中にあるものだから、どうにかしたくなる。つまり、学びたくなる欲求に駆られるわけです。

もちろん、考える視点を持ち、その考え方を広げる努力、反対に、焦点を狭めたりしながら、世の中を通した「自分という存在」を意識する上で、とても役に立つ考え方で、そこから学べることは、たくさんあります。

当然、相手にも非はありますが、自分が何かを感じ、何かを考え、周りと一緒に経験することで、何かに気づいたり、気付かされたり、学ばされたり、学んだり、できる。意義が存在するからです。

学びを繰り返して、そろそろ飽きてきたなと感じる方にとって、ここから先は朗報です!

ここで、自ら気づかなくてはいけないこと、があるとすれば、それは、自分で「ドラマ」に参加しているということです。

「相手に非がある事実」と、「自分にとばっちりが当たってしまった事実」は、別の事柄として、わけて、とらえていくことは、自分の視野を拡大する上で、大切かもしれませんが、いずれも自己都合で解釈しているかもしれないのです。

上手いと思って、何かの話に、のってしまい、結果として、仮に騙された、のであれば、見抜く目を持たなかった自分のせいでしょう。

八つ当たりをされたのなら、過去に自分も他人に同じようなことをした経験がないかを、考えてみることは大切ですが、そこに意識を集中すると、次から次へと、その学びが「ドラマ」として展開していきます。

そういう自分を許しているわけです。そういう自分になりたいと、宇宙にリクエストしている状態だからです。

自分を信頼するまで、その学びは、手を変え、品を変えてあなたの元に送られます。

これがカルマです。

お相手がいて、その方もカルマの法則の下にあるなら、たとえば、誰かを騙したり、攻撃したりすると、いつか(過去なのか、今から近い将来なのか、違う次元なのかわかりませんが)似たような目に合うなどして、感じることから、考えさせられる、気づかされる何かに遭遇していく、ことになるでしょう。

3次元地球上のすべての人が、この世のカルマの法則で展開するものごとによって、気づきが起きる、成長していく、しくみ、になっています。

しくみ、を認める程度によって、それを受け入れる、無意レベルで起きることを受け入れる、しくみを超えて、自分で物事を作り替える、自らが創造主と一体となってなりたい姿を実現していく、など、様々な生き方が選べます。

私たちは、とかく、いろいろなものに、「便利シール」「好き都合ラベル」を貼りたがります。
法則と呼べば、みつけやすいですし、しくみといえば、考える脳を発揮しやすいですものね。

カルマ、に、一喜一憂しないこと、それは、どのレベルにいても
共通のシールの外に出られる魔法の意識ではないでしょうか。

 あ、今日の、カルマ笑。ぐらいで観察する。心の目から見守る。これが、周囲がただ慌ただしい師走において、2022年へ向ける冬至を控えた、スピリチュアルマスターへの一歩前進の道です。

それは、能動、傍観とは違います。
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