いろいろ辞めますさようなら。

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コラム
何も釣れない釣りタイトル風のタイトルで始まりました。

何を止めるのか?辞めるのか?病めるのか?

今回の話はいわゆる自己認識とかアイデンティティーに変革をもたらす話なので、そういう自分変えたい系の方とか、今なんとなく生きてるんだけど違和感あるとかそんなもやっと系の方には刺さるかもしれないお話です。

刺さらなくても責任は取りません。

前提

まず僕は今現在主な収入をイラストなどの絵を描くこと、もしくはそうしたものを含むデジタルコンテンツを作って販売することで得ています。

なので人に何してるの?と聞かれれば、

『イラストレーター 』

とかそんなふうに答えるんです。

でもですね、この肩書きね、ずっと違和感があったんです。

絵を描くのは好きで楽しいし、着実に稼ぎも増えているけど、別にこれしかしたくないとか、これ以外何も興味ないとか、イラストとか絵とかのアートなことしかわからんし、勉強もしないとか、そういうわけじゃないんです。

今あなたがこうして読んでいるもののように、そこそこ文章も書くし、いっときライター的なこともしてました。

さらに最近は動画編集もちょっとやったり自分で作ることもしてみたり。

お金になっているとか仕事としてとかの枠を外せば、政治や歴史についても興味があり勉強したり、いろいろ参加してみたりしているんです。

つまり、イラストレーター という肩書からは全く離れた活動も結構しているし、収入面でも比率が違うだけで違うこともあるんです。

なので自分の中でイラストレーター ですというのもなんだかはまらない。

というかしっくりこないし、別にこなくて良い。

そんな感じなんです。

なので、肩書きをやめます。

もうちょっとわかりやすく言うのならば、アイデンティティーを仕事とか肩書きに紐付けないこと。

:何者でもない、何者でもある

きっと多くの人がほぼ無意識に自分は〇〇であるという自己認識、つまり自己を定義付ける何かを持っていると思います。

そしてほとんどの人はそこに今現在の身分、職業、肩書きが入ることでしょう。

もしくは所属先の名前とか地位とかですかね。


あなたはだあれ?

サラリーマンです。

あなたはだあれ?

大学生です。

あなたはだあれ?

主婦です。

あなたは・・・・・・

こんな具合で。

でも、ほんとにあなたは"それだけ"なんですか?

いろんなことしてるはず。いろんなことができるはず。

何者であるかを決めた時から、その枠組みにはまり限界が決まりその世界の基準と平均値で自分も他人も評価することでしょう。

サラリーマンなら、こうするのが普通。

主婦は、こんなことしない。

学生は・・・・・

と言った感じでその定義から外れないようになっているはず。

行動も考え方も、その定義に沿った形になる。

別の言い方をするなら"制限"とか"限界"を作っている。

なんだか不自由だなーと思ったわけです。

なので辞める。

何者かであることを、何者かになろうとすることを、止める。

自己を定義付けて、制限や限界を設けることをやめて、自由にふらふらと、
とことこん興味と好奇心を暴走させて、なんでもやってみる。

そんな風に考えてみる、生きてみる。

何者でもなくなった後、残っているのは何者にでもなれる、あれるという自由があります。

つまり無制限の無制約の天井知らず。

ということで、何してんのかいまいちわからんふわっとした人として今後も頑張って参りたいと思います。

なので、僕のプロフとか見てなんかこんなんやってくれ!とリクエストもらえるとすんごく助かります。

全部はできないけど、可能な限りそれらをサービスにしようと思うので。

話を聞いてくれとか、そんなんでもいいので。

ではでは。

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