回避傾向、人間不信者にとっての親愛と利害関係

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回避傾向、人間不信気味な人にとって避けては通れないほど大きい問題なのが、この親愛と利害関係の問題なのではないでしょうか。

つまり、「自分の関わる人間関係において親愛なんてものは存在せず(自分には向けられず)、利害が一致する限りでしかプラスの働きかけが交換・譲渡されることはないだろう」という染み付いた不信感があって、他人のことを頼ることもできず、必然的に人間関係から退却していく…といった状況です。


これは必要な時に助けてもらえなかった経験のあるほとんどの人が感じる感覚で、私自身も長年感じてきたことだし、私が家庭教師でもっていた小学5年生の子から言われた「学校の先生も、先生(私)も、お金のためにやってるだけなんでしょ」という言葉の根底にあった感覚でもあったと思います。

この子からの言葉で、何を「金のためにやってるだけ」なのかはそのとき明言されなかったけど、それはたとえば時間を割くこと、応援すること、労力をかけること、親しそうな雰囲気を出すこと、味方っぽい感じでいること…これらのことが、子供自体を目的としたり、その援助を価値としているのではなく、どこか本気じゃないような、「所詮お金(利害)のためにやってるだけなんでしょ」という意味だったのは明らかでした。


この感覚は電話相談やカウンセリングについて回避型・人間不信の方が不安に感じる際のものでもあると思います。

「話を聞いてあげる、共感してあげる…そうはいっても結局お金や実績のためだよね?私が苦しんでいて周りに助けを求められずお金を使う方法でしか相談できない状況にいるおかげであなたは豊かになるわけだよね?」と思うわけですよね。

自分も長らくそんな風に考えていたので、小学生の教え子に「所詮は金のため」と言われたときには「その通り」と思ったものでした。
しかし、その一方で「そんな君だからやってるんだけどね」とも思ったのでした。

そのときの状況を思い起こすと、お金や経験のためであると同時に、どこか生きづらくなりそうな運びのもとにあるその子に対する共感と応援、祈りがあったのも確かだったのです。


その子が5年生の終わりに引っ越しで家庭教師を終了することになって、いろんな話を聞いてあげたことやその子の気持ちを慮ってあげたこと、共感してあげたことなどがずいぶん感謝されているようでした。

私のやったことは全てお金と経験のためでもあったし、その子の気持ちを思いやることは家庭教師としての評価にもつながったのだから、全て利害関係のもとにあったといえるのだけど、「所詮お金のため」にやっていたかと聞かれれば、利害以外の何らかの価値、自分が信じるよいもののためにやった部分がなかったとは言えないのです。


また、家庭教師契約がなければ私とその子の関係は生まれなかったでしょう。

まあまあ綺麗事かもしれませんが、お金で始まった関係をお金だけの関係にするかどうかは、関係に属する人間次第な部分もあるのではないでしょうか。

もっと具体的に言えば、関係に属する人間が意識的・無意識的に自覚している価値によるのではないかと思います。


生活状況や価値観もあるので一概に悪いとは言いませんが、お金や成功、実績が価値の大部分を占めている相談業者やカウンセラーも少なくないとは思います。

私もカウンセラー起業の本を読んでいて、「実績を上げながら、お金のブロックを外して、どんどん単価をあげましょう」「高くしても払える人があなたのお客に残る」みたいなことが書いてあって反発を覚えたことがあります。

私が一番辛かったときに受けた個人カウンセラーの方のカウンセリング、心療内科、精神科でのカウンセリングも、ほとんどが形式だけで無意味なものでした。

ただでさえ悩んだり苦しんでいるのに、相談する相手にとってビジネスだけが価値なのかを慎重に見極める作業はとても疲れるし、確信にまで至ることもなくて気疲れするし、そんなことならもう相談するのをやめたりもしますよね。


ただ、お金や実績以外の価値、たとえば親愛や共感、優しさへの志向を自覚してカウンセラーや相談業の道にいる人も確実にいます。

自分自身、回復してきてから受けたカウンセリングでは良い人に当たることが格段に増えました。渦中にあるときに考えすぎると、かえって気持ちをわかってくれなさそうな人を選んでしまうのかも。

「この人はなんとなく向き合ってくれるかも…」と思えたときに、自分を大事にすることやセルフケアに繋がるかもしれないと少しでも感じられたなら、勇気を出してみてもいいかもしれません。

その人が話を聞いてくれる人だったら、いつか「みんなどうせお金や実績だけが大事で、向き合ってくれないと思ってた/思ってる」と話してみるのはどうでしょうか。もしかしたら、その気持ちに向き合ってくれるかも。


「親愛や共感、優しさへの志向」なんてものは本当は利己的な立ち回りだったり、単なる快楽や自己満足、承認欲求の充足に過ぎない…って思ったりしますか?

もしそこまで思うなら、私は多分あなたのことが結構好きで、親しみを持てると思います。笑
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