短所はその人の「特徴」であり、決して欠点ではない。ただ、その特徴を自分が変えたいと思っているのであれば、自分の好きな形にしていけば良い。
ただし、それに投下するパワーとしては、短所10%、長所90%が目安。
これは私の短所に対する考え方です。
短所の意味自体は「劣っているところ・欠点」になりますが、
私は短所の意味を「特徴」と捉えています。
人間は唯一無二の存在であり、性格も人それぞれであれば、価値観も違います。なので「劣っている・欠如している」という判断は人による部分が大きく、AさんはBさんのある部分を欠点と捉えても、Cさんはその部分を欠点として捉えていないこともあるので、あまりあてになりません。
ですので、私は「欠点=特徴」だと思っております。
短所を欠点として認識してしまうと、どうしてもネガティブな印象が強くなってしまい、このたった二文字だけのせいで、自分に自信が持てなくなり、人生が暗くなってしまった人も多くいます。
ただ、響きを「欠点」から「特徴」に変えるだけでどうでしょう?
同じ二文字ですが、何となくネガティブな印象が薄れていきませんか?
事実、前で述べたように「欠点」という意味は人の価値観に左右され、あてにならない部分もあるので、それを正として受け止め、自分を苦しめてしまうのは少し待ってください。
短所はあくまでも「特徴」なので、ネガティブに捉えず、自分が変えようと思うのであれば少しづつ変えていけば良いですし、
例え大多数の人が「短所」と捉えていても、「自分はこうなんだ!」と強く想うものがあるのであれば変える必要すらありません。
短所とは人間か作り出したあやふやなカテゴリーに無理やりはめ込んだ
概念であり、ただの虚構です。
人は素晴らしい頭脳を持っていますが、水中では生きられません。
鳥は空を上手に飛ぶことが出来ますが、走ることが苦手です。
魚は水中を上手に泳ぎますが、陸では上手に動けません。
みんな長けている部分があれば、そうでない部分もある。
この世界はそういうものなのです。
短所は特徴であり、その人の性格や価値観に基づいてそれぞれ備わっているものになるので、変えようと思っても、明日からガラッと変わるのものではありません。
短所を変えていく場合、性格や考えを変えていかないといけない部分があるので、変えるには長い年月と労力が必要です。
なぜ、この世界に「長所・短所」、「得意・不得意」、「長けている・長けていない」という現象が生じるのでしょうか?
私の考えとしては、「誰かの短所を、誰かの長所で補うため」だと考えております。
人間の短所はなかなか変えることができません。
そんな人間だからこそ、様々な人間同士の支え合いが必要で、
人間は唯一無二の状態で生まれてくるのです。
ですので、短所に対して貴重な時間を投下するのではなく、
あなたしか持っていない長所に時間を投下して、
更に磨き上げ、誰かの支えになることが大事なのです。
「短所はその人の「特徴」であり、決して欠点ではない。ただ、その特徴を自分が変えたいと思っているのであれば、自分の好きな形にしていけば良い。
ただし、それに投下するパワーとしては、短所10%、長所90%が目安。」
短所だけに目を向けるのではなく、あなたにしかない長所で、
誰かの幸せを繋いでいきましょう。
あなたの人生が鮮やかに彩られますように。