いい人は幸せ

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得したい。なめられたくない。幸せに見られたい。大切に扱われたい。傷つきたくない。

いい人って他人に無防備な人。いい人なふりではなくいい人。
いい人のふりは私。得になりそうなときだけ、相手がそういう人に弱い、そういう人なら自分の思い通りそに動いてくれるということがわかるときだけいい人を演じる。

しかし、最近本当のいい人になりたい。損得では取り損ねてしまう優しい関係を築きたい。しかし、いい人は時に損をする。

例えば、駐車場で後ろに車がいて手前の駐車場が空いていたとする。
本当は手前の駐車場に入れたい。だけど後ろを待たせてごたごたするくらいなら、私が奥の駐車場にいれようかな。運転にもあんま自信ないし、とよく奥の駐車場へ行く。しかし、感謝されたい。感謝されるならいくらでもやっていい。奥に止めると店に入るのも遅れるから、その人より買い物も遅くなる。店から出る時もとおい。
しかし、他人が先に近いところに止めると「奥行けよ」って思ってしまう。他人に強制してしまう。

相手がいるなら、感謝してくれるなら、いい人をやるにも割りがあう。そんな風に考えてしまう。

世界には本当にずうずうしくて心の汚い人もいる。そういう人には自分のやさしさも全くのむだになる。それを避けたくて、優しくするのを躊躇したくなる。やさしさが無駄になることだけは避けたい。

やさしさが優しい人の心のあったかみになるのなら、いくらでも出す。それは私の幸せにもなるから。

しかし、相手が優しい人なのかずるい人なのかなんてぱっとわからない。そこでやさしさを出すことをせきとめてしまうのだ。正解であり、まちがいでもある。

優しくない自分とは愛がまわらない状態。愛は他人との間でまわしてこそ健全だし、幸せ。他人を信用することができずに愛が自分のなかでとどまっている状態ならなんか不幸。
でも相手が最低な人なら私の愛は無駄になり傷つく。

どうしたらいいんだろう。

私は見返りを求めているのだろうか。
母親に優しくして無駄になったあの日々を後悔しているのだろうか。

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