寄り道キラキラ 第6歩 毒親育ちが求める許しと背負う罪 その2

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こちらは毒親育ち・HSP・うつによって、日々生きづらさを感じている方をメインにお届けしております。散歩の途中、ふらりと立ち寄り、休憩できる場所になれたらと願っておいます。   毒親育ちHSP看護師「なーすのかたち」
 ブログテーマ「寄り道キラキラ」:「人生の寄り道した分、こころのキラキラは増えるよ」 

 第1歩から第5歩まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
 今回は第5歩の続きとなります。初めての方は第5歩から読んで頂けるとわかりやすいかと思います。
第6歩も引き続き自分語り多めの記事となります。お許しください。

「言いたいことはいっぱいあった!」爆発し、大声で叫べなかった子どもの苦しみを想う

 離婚によって、引っ越しを余儀なくされました。
疲れ果てていた当時の私は、毒親の交換戦略にうっかり乗ってしまいました。

「こちらに来るなら、家を探してあげる。」

 両親の家からほど近いところに家の当てがあるとのことでした。後々、この家が私をずっと苦しめることになるとはこの時は考えもせず…。
 子どもにとって引っ越しは3回目。これまでは特に問題なくすっと新しい環境になじめ、友だちもできました。
 ところが、今回は違いました。持ち込んだ持ち物、物の名前、言葉づかい…、全く価値観の違う学校に転校し、「お前はあれが違う!これが違う」と指摘される毎日に、こころがつぶれていったのです。その気持ちは十分すぎるほど理解できました。この土地で、私たちは「よそ者」だったのです。

 2年経った頃、子どもは全寮制の中学校を受験したいと言い始めました。

 受験…。実は子どもはこの学校に来る前、付属小学校に通っていました。たまたま、その学校の方が自宅のすぐそばにあり、ずっとそこに行きたがっていました。大都会のお受験とは違い、準備もなくのんびりでした。(笑)
 また、子どもの情報源になればと小学生新聞を取っていました。そこには結構中学受験の話題が掲載されていて、その手段を思いついたのだろうと考えます。
 親の勝手で離婚して、引っ越して、・・・。言葉が出ませんでした。
 しかし、子どもの受験準備から出資を始めたら、何かがあってやり直すだけの貯金はこの時点でありませんでした。更に春から、私自身の看護学校入学も決まっていました。
 子どもが受験・入学するまで約2年。私はとにかく入学して、働きながら頑張ろう。看護師資格さえ取れば、夜勤もできるし、子どもの学校近くの病院で働ける。そうすれば寮の費用は払わなくて済む!きっと何とかなる。何とかしよう! 応援すると腹をくくることに決めました。

 引っ越してきた段階で貧困だった我が家が、無謀にもこの挑戦をしたために、家計は後に、燃え盛る火の車となる訳です。(笑)

 応援・・といっても、受験対策をしてくれそうな塾に行かせてあげたこと。時間が合えば送り迎え。受験希望校の見学・模擬試験受験。(こちらふたつは泊りですね)
 もともと子どもの勉強を見る習慣は、日常の宿題も含めてありません。その点は早くから自立していたので助かっていました。お互いに帰宅後はそれぞれに勉強、レポート、居眠りなどで、いつも寝るのが遅かったです。
 途中、受験勉強に嫌気のさした時期があったものの、希望の学校に合格できました。

 しかし、です。勉強量の多さ、厳しさ、寮生活のさみしさに耐えられず、途中棄権。
 頑張っても頑張っても赤点で再テスト、再々テスト、再々々テスト。合格点が出るまでクラブ禁止。寮でもひたすら勉強。週末は子ども以外は全員帰宅できる距離の生徒でした。週末が来る度に、子どもはひとりぼっちだったわけです。
 子どもとしては合格を決めて、卒業式の日に「もう当分戻ってきません。」とカッコよくお別れしたのに、カッコ悪く帰ってきたわけです。
 帰宅してしばらくは、頭から布団をかぶり、1日中引きこもっていました。
 深夜、アルバイトから帰宅した時、部屋の電気がついていると、心底ほっとしたものです。

 2か月ほど低迷・不登校をして、公立中学校に入りなおしました。
 そして、その頃から「第5歩我が家のトップ5」が始まります。

貧困と病を受け入れる苦しみが病を呼ぶ

 子どもが家に戻って来るほんの1、2か月前。私は病院実習中病気で倒れました。(第3歩参照)当時、それでは看護師資格を取れるかどうかわからないと言われ、子どもの全寮制私立中の学校費用や私自身の莫大な奨学金返済をどうしたらいいのか…全ての当てが外れてしまったこと、病になってなお、病院で親に言われた言葉に深く傷ついていました。
 そんなある日の夜間、急にのどの辺りが苦しくなって、息が吸えません。「喘息だ!」ちょっと看護師らしくなったなと思っても、ひとり!そして2階で電話も何もなし。やってくる死の恐怖。

 誰にも言えない病気やお金の悩みのストレスが、喘息の形で現れました。
治療と通院先が増え、出費は増えるばかり。喘息は夜中しかおきませんでした。2年間ぐらいは枕元にレスキューの吸入器を置いていたと思います。

 「お金だけは盗らないで。」何度も子どもを叱り続けた真相がこれです。

精神ギリギリの激しい葛藤の中で絞り出された方法

 この頃の子どもの言葉にならない負(愛情を求める)のエネルギーは、理屈や正論でどうにかなるものではありません。
 わかってやってしまうのです。しかし、犯罪の様に計画的に相手をおとしめようとしているのではありません。バレたくはない。知られたくもない。でも、わかってもらいたい、発見されたい。ギリギリの激しい葛藤の中で絞り出された方法なのだと思います。

その3へ続きます













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