生きる目的が無い、でも他人に貢献したい、悩みに答える

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質問
はじめまして私は50代男性で店長をしています、営業成績は良好です。

スピリチュアルな話題は、何人かと何度か試しましたが、なかなか難しいものがあります。・・ただスピリチュアルな話題をしたかった、という理由であなたにコンタクトしてみました。

私の悩みとかは、とりあえず無いです。・・目的や生きる理由も無いってのが悩みかもしれません。
私が知りたいのは、悟りを開かれたという、あなたの知った真実ですね。
もし良ければ教えて下さい。

私は瞑想者です。
今はエネルギーワークが必要と思っていまして、それに励んでいます。

結局、人間、自分を成長させるものは反省する事しかない、と思っています。
反省し感謝する。・・それが王道で、他人や宇宙人(笑)のアドバイス、チャネリングや教え的な物も引き寄せも、全て意味がないばかりか、悪影響をもたらすのでは?・・と思っています。

つまり、そういった思いなんで、なんちゃってスピリチュアルな人と話すと噛み合わずに、みんな離れて行くって現実があります。

瞑想はマントラ瞑想です。スピリチュアル的な体験は一通りしてきました。
が、結局は自己中の自己満で終わっていて他者の幸福には貢献できておりません。・・・それが悩みです。

あなたは何か、こう、自分に自信がある感があったので・・・
ご回答をお願いします。


回答
ご質問頂きまして、ありがとうございます。

悟りを得るために瞑想はとても重要ですが、瞑想が深まると釈迦もイエスも悪霊や悪魔に邪魔されたと言っています。・・なので必ず明るい場所でやる様にして下さい。

反省と感謝、そして他者への幸福を願うお気持ち、・・素晴らしいです。
なのに、その貴方が「目的が無い」と言う、・・・先に答えを言ってしまいますが「全ての人間の人生の意味とは他者のためになること」なのです。

あなたの様に「他人の幸せに貢献したい」と思う人は徳の高い人です、・・そうでない人は・・例えばヒトラーに殺されたりします、・・そして人間の悪意や洗脳などの研究の切っ掛けに役立ち、社会貢献となります。

何故かと言うと「本来、自分などというものは無い」からです。

ヨガの瞑想は「気の流れを知る」いわゆる生命エネルギーを操って自分や他人の体調や精神を整えることが主です。

対して仏教では「色即是空、空即是色」「本来、この世界は無である」と説き「無の境地を知る」ことを「覚る」と言い、文字通り「夢まぼろしのこの世界から覚醒する」ことを目的とします。

要するに「この世界が無である」と言うことを知る、イコール「自分など本来無い」と悟ることです。

神道では神社や神棚に御神体として丸い鏡を祀ります、・・鏡を覗くと自分が写りますが、そこから自分を無くすと・・・自分とは「我」であり「が」です、「かがみ」から「が」を無くすと・・・「かみ」です。

「無我即神」なのです・・私心の無い者、すなわち我欲の無い者は即、神なのです、ゆえに「人間神の子」なんです。

日本神道が唯一「仏教」だけを受け入れた理由がご理解いただけましたか?

そして人生の目的とは、「喜怒哀楽」なのですが・・・何故、「喜」と「楽」・・似た様な意味の漢字があるのか?・・・

あなたなら簡単でしょう、そうです「楽」は「快楽」であり「自分の喜び、幸せ」です、・・対して「喜」は「人生の喜び、幸せ」であり、すなわち「他者への貢献、世のため人のために生きる」ことです。

もし今、あなたが美しい花園を見つけたらどうしますか?・・・「奇麗だなぁ~」と思った後、次に考えることは?・・・「今度、○○を連れて来てあげたいな」と思うでしょ・・彼女とかお母さんとか娘たち・・店長でしたら「今度従業員みんなでバーベキューしに来ようか」とか考えるでしょ

要するに「快楽は三日で飽きる」けれど「他人を喜ばせる」ことは飽きることが無いのです。・・故に本当に世のため人のためになっている様な素晴らしい仕事を「あきない」と言うのです。

そして、あなたが私を見つけたのも偶然ではありません、・・スピリチュアルが「しっくり」こないのは貴方の徳の高さからです、・・「この世界は本来無い」さらに言えば「自分という心も本来無い」すなわち「人格も無ければ霊魂も本来無い」のです、よって「悪霊も無ければ悪魔も本来無い」のです。

要するに本来は「気」も無いしスピリチュアルも無いのです、「業」(ごう)も無いし「因果」も無い・・・全てが夢まぼろしであります、そして、あなたはその事を無意識に感じていた、・・だから私を見つけたのです。

それでは、この世は何も無いのかと言うと・・・唯一、実在するものが・・・「神」です・・神のみが「実在」です、・・そして、その「神」とは・・「あなた」です・・ゆえに、全ての人間が「神」なのです。

以上が私が悟った世界観の大筋です。

このことをしっかりと理解して瞑想などをしないと低級霊などに障られて「神様のお告げだ」などと大騒ぎをする人がいるのです。

イエスいわく「求めよ、さらば与えられん」・・日本語って変ですけど、もちろん「与えられる」という意味です、・・・要するに瞑想の時などに「神」を求め確信して行えばそれなりの高級霊と交信できるということです、・・そして、それこそが「引き寄せの法則」そのものであります。

あなたの文面から知りたそうなことを推察して書いてみたのですが・・・

この内容は釈迦の言うところの「全ての悟り」いわゆる「仏陀の悟り」です、・・ゆえに貴方が100%信じることが出来たなら、確信できるなら・・「因果の法則」から外れます、・・要するに以降あなたの人生に「江原啓之」さんも「細木数子」さんも一切必要無くなります。

釈迦もイエスも苦行をして悟りました・・が・・・二人とも「悟りに苦行は必要無い」と言っております「ただ信じれば良い」と言っているのです、・・なんだかズルイみたいですけど事実です。

ちなみに、このことを悟ったからといって「気」を操れなくなったりはしないので安心して下さい、・・むしろ更に能力が上がります。

「人生の目的とは他人を喜ばせることである」ならば、先ず「あなたが常に笑顔でいることが重要である」なぜなら「人間とは他人の笑顔を見て喜ぶモノ」・・・すなわち「神」だからです。

「神」を喜ばせることが楽しいのは至極、当たり前のことです、先ずは「笑顔」・・・3日もすれば貴方の周りは笑顔だらけ・・幸運に包まれるでしょう・・・「笑う門には福来る」

イエスいわく「汝、隣人を愛せよ」・・・困っている人を助けたいと捜し歩くよりも、先ず横にいる人を喜ばせなさい・・・あなたの素敵な笑顔で・・・

私には、あなたの人生が幸せに満ち溢れている様子が観えております。

ありがとうございます。
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