本当の多様性とはこういうことではないか

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パラリンピックを初めてみました。いや、パラスポーツ自体競技として見たのは初めてです。
パラリンピックはいろいろな競技がある中で、それほど多くの競技を見たわけではありませんが、中には健常者と同じ競技もあって特に水泳は凄いと思いました。
同じ競技(背泳ぎや平泳ぎなど)でも障害の重さでクラス分けされているようで、人によっては手に障害があり足だけで泳ぐ人もあれば、足に障害があり手だけで泳ぐ人、また選手によって手足を動かせる方向や範囲も違うので動かし方もそれぞれが自分の動かせる範囲で精一杯動かして前に進もうとする。
おそらく健常者であれば同じ競技としては認められないのではないかと思うくらいそれぞれがバラバラな動きをしながら、けれどもそれぞれがなんというか「各選手たちが自分の個性を活かして同じ競技で競っている」と言うのはなんかすごく素晴らしい世界だなと感じたんですね。

今の世の中は少しでも人と違えば叩かれたり不安になったり「○○警察」みたいなのがリアルにもネットの世界にもいて何かすごく窮屈な感じがするんです。
でも元々人間はいろいろなタイプや考えがあって、ちょっとおかしな奴らのおかげで人類はここまで発展してきたとも言えるわけです。(みんなが同じ行動したら全滅だったけど、必ず反対の行動をする一部の人のおかげで生き延びて人類がある。)

要は今盛んに言われる多様性が大事ってことです。
でも意外とその多様性の世界って口で言ってるだけでイメージできてない自分もいたんですが、あの画面の世界がまさに多様性というのはこういうことではないかと、競技とは別の意味で感動しました。(もちろん競技も素晴らしかったです!)

じゃあ、「我々が生きている世界」と「あの画面の世界」とは何が違うか考えてみるといくつも要素はある気がしますが、一つには私たちは「公平や平等」という名のもとに細かいカテゴリ分けやルールを作って、結局そこに縛られて自分たちで息苦しくなり、今や窒息しそうになってるんじゃないかと思うのです。我々の世界はみんなでギリギリまで息を止める競争をして、先に酸素を吸った人(世の中のルールからはみ出た人)をマウンティングしてみんなで叩く、そんな世の中なんじゃないかと。
でもあの画面の中では、元々持ってるものが違いすぎるから相手と比べるんじゃなくて自分の個性を精一杯活かして全力を尽くす、ただそこにフォーカスしている世界だから素晴らしいと感じたのではないかと思いました。

日本人は特にその多様性を受け入れるのが難しいというお話も聞きましたが、それはまたどこかの機会でお話できればと思います。

ということで今日はここまで。
最後までありがとうございました。
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