子供の頃、どんなひとも寝る前に、親からお気に入りのおとぎ話をきいて育ってきた経験があると思います。
そして白雪姫や裸の王様といった古くから伝承されたおとぎ話というのは、あきらかなフィクションでありながら、しっかりと知恵や真理がふくまれています。だからこそ、大人になってもなお強くこころに惹かれるのではないしょうか。人はフィクションの中のリアルを幼心に感じているわけです。
ディズニーはそのことを知っているので、ある時点からただ可愛らしいお姫様のお話や、みんなの知っているおとぎ話をつくるのではなく、作品の中に深遠なる真理を取り込むことを意識しながらストーリー作りをするようになりました。
映画の話づくり専門チームが、新しい女性像とはなにか、とか、男女格差のない時代の新しい男性ヒーローのあり方とは何かなど、大人の目線にも耐えられるような真理を組み込んだファンタジーをああだこうだと議論しながら、創作しているのです。
ディズニーの過去のアニメ、シンデレラのDVDを見るとわかりますが、昭和時代のディズニー作品シンデレラは、よいお母さんになることを求められています。舅が可愛い子供を産んでくれる姫を、と。
そして、王子も美しさだけを見て、シンデレラを追いかけます。
シンデレラは、「信じ続けていれば いつか必ず夢はかなう」と歌います。
そして魔法使いが現れてかないました。
この作品からは、正しく忍耐し努力した正しいものは、神なるものがみていて、自分を助けてくれるといった、権力や能力のあるものからみて、好ましい生き方を健気にこころがければ必ず自分の願いも報われるといった、昭和の幸せの価値観そのものが伝わってきます。
しかし、本当は、シンデレラのこの地獄から解放されたいという夢は、ただ願ったから叶ったわけではありません。
言いつけを破って、舞踏会にでる行動によってかなったわけです。
意識の科学的には、魔法使いの存在は、本当は必要なかったんです。
しかし、昭和の幸せとは、あくまで魔法を待ち続ける、純粋で受け身の女性が周りのいじめや理不尽に忍耐した結果、報酬として権力ある立場のものにもらったものでなくてはならないのです。
そしてそのころのディズニーの男性像というと、美しい姫だからこそ、大して相手の人間性すら知らないのに、王子は命がけになって、悪い魔女と戦います。生涯の伴侶を、一目惚れや見た目だけで決めていいのでしょうか?
もうこんな男女のいびつな関係性を描く作品をディズニーは作りませんよね。w
もしも今、そんな作品を作ろうものなら、世界中の女性から、女性を檻に閉じ込めるな!と、大ブーイングが飛ぶでしょう。
流行は、集合意識が作ります。
その時人々がもとめているコンセプトがファンタジーの中で顕在化された時、その作品は深く人の心をつかみ、結果的にヒットします。
だからこそ、大衆マーケティング側は、ひとのこころの奥にある隠れたニーズにアンテナを立て、深い真理を追求し、それをいかにわかりやすく発信するかを心がけるのです。