自分で選ぶ

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ある人が言う。
「あの人が幸せそうなのは、実家がお金持ちで、根底に愛されて育った安心感があるからだよ。」
ひがみのように聞こえる言い方。

(そうなのかな?)
と思う。

ある一面はそうかもしれないけれど、
私は「そう」、思わなかった。

子供は親を選べない。
「ある人」は、毒親の元で育った。
「あの人」は、裕福な親元で育った。
ここは、何をどうしたって、選びなおせない。

幼少期に毒親の元で育った人は、私とは受け止め方が違うのかもしれない。

「私」は普通の家庭で育ったと思う。
親は私を叱る時に頭を叩いたし(昭和)ヒステリーのように起こる事もあった。けれど親は私を抱きしめてくれたし、愛されていると感じる事もあった。唯一普通じゃない点は、私の親は夜遅くまで帰ってこない事が多い親だった。鍵っ子だったし、寂しい思いが無い訳では無かった。

自分は人より劣っている
と、感じる事が多かった。だから真剣に勉強をつづけた。
推薦が取れる成績まで頑張ったのに、親は「大学に行かせる金は無い」と言った。自分達の自業自得で借金を作り、子供に言ったセリフがこれ。
親を恨んでいた時期もあったと思う。けれど、私がたどり着いた答えは。
「それでも、親は、その時を必死に生きていた。
必死だったけれど、結果的に借金を作る生活になった。」
ただ、それだけの話。
自己原因論に落とし込むと、
「高校時代にアルバイトをして、お金を貯めて大学に行った友達もいた。自分もアルバイトをしていたのだから、大学に行きたいならそれをすればよかっただけ。」
でもそれをやらなかった自分を棚上げして、親のせいにして恨んだ。
「ウチの親は、子供が進学したいと言っているのに行かせない親だ。」と。
自分が親となり、「子供には同じ思いをさせない」と決意して、息子は大学院まで進む事が出来ている。

恨んで生きるも
恨まないで生きるも
自分次第。

私は今、恨まない人生を歩んできて良かったと思う。
そりゃ、(あぁだったら)(こう、だったら)と思う日もある。
けれど、そう思っても時の流れは逆向きにはならない。

決意があれば、いつからでも大丈夫。
決意なんて、大それたものでなくてもいい。
ちょっと、やってみようかな?くらいでもいい。
恨むという感情を手放して、
許すという自分を受け入れてみませんか?




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