断捨離したら夫への不満が消えた②

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何となく家事に追われ、不妊治療はじめる



結婚して夫の実家へ入ってからは、まるで家政婦のような生活でした。現実にそういう家庭は、まだ今も多いのかなと思います。


広い大きい家に、お義父さん、夫、私の三人暮らし。家事一切を当然のように任された私は、それにもあまり疑問を抱かず毎日の家事をしていました。荒れ畑になっていた庭の畑では、家庭菜園を始めました。


お義父さんは山育ちの私に地元で貰う魚の捌き方を教えてくれたり、地域のあれこれも教えてもらいました。お酒が大好きで、夫と二人毎日の晩酌を楽しみにしていました。


私は働きたいと思いつつも、仕事を選べるような地域でも無く、家の事や地域の役を両立させる自信が無く、フルタイムで働くのは諦めて、私は細々とバイトを始めました。



夫に家事を頼んだ事が無かった訳ではなく、家事をやって貰おうとしても、やらない!と固く決めているようで、毎回潔いくらいにきっぱり断られました。そのうちに家事を分担してもらうことは諦めるようになりました。

それでも本当はやって貰いたいという気持ちはまだどこかにあったなと自分ながら思います。あまりに忙しい時はなんで手伝ってくれないのだろうかとイライラしてしまうこともありました。



実家へ入って3~4年したころからは、知り合いの子供さんやその友達など、家に遊びに来る子たちが増えて、場所を開放して子供たちと遊んだりお話をしたり、時には掃除や障子の張替えなど手伝ってもらっていました。夫のお友達から誘われて、学校に読み聞かせボランティアに行くようになりました。




結婚生活も五年ほど過ぎたころ、子供が授からなかった私は、夫と相談の上30歳を目前に不妊治療を始めました。不妊治療できる病院は山を越えて車で1時間ほどかかる場所でした。

原因を調べるため検査をしたり基礎体温を付けたり、夫に排卵日のタイミングを伝えたり。高額な不妊治療は行っていませんが、遠い病院までの行き帰りは結構負担でしたし、時間もお金もかかりました。

自分自身、神経質なほどでは全然なかったとは思うけれど、子供が授かりたかったので頑張って続けていました。

だけど、『子供はあったらいいな』とは言葉にはするものの、夫は不妊治療には決して協力的とは言えず、6年ほど続けた不妊治療の期間は、一番の孤独を感じた時期でした。不妊治療に関することで言い合いになることも度々ありました。



当時、不妊治療に通っていた病院の受付で『まだ続けてたんですかぁ~』と言われたことがあって、病院を変えたりもしました。多分受付の方に悪気は無かったと思いますが、やっぱり神経質になっていたんでしょうか。その病院にはもう行く気になれませんでした。

結局、自分が頑張っても相手にその気が無いのでは、不妊治療を続ければ続けるほど虚しい気持ちが強くなる一方で、それに耐えられなくなり不妊治療をやめてしまいました。


夫にしてみれば、言い分もかなりあるだろうとは思います。男性にとっても繊細な話だと思いますし、言葉を選んだり、タイミングをよくよく考えて、病院の結果や排卵日などを伝えても、返ってくる反応や言葉は『今言うのか?』『聞いてないよ』(お酒を飲んだ時に言ったことはあまり覚えていないのですが、言えるタイミングはお酒飲んでいるタイミングがほとんど)など、私からは私を責める言葉に聞こえました。一度も、次の排卵日はいつぐらいだろうなどと聞かれたことはありませんでした。


不妊治療をやめたら妊娠したという話もよく聞きますが、私たちの場合はそれはまず無いなと分かり切っていました。まだ妊娠を諦めなくてもいい年齢ではありましたが、子供は諦めました。


いつか、『子供ができなくても、二人でも良いよな』と言った夫。それは、男性側が強く妊娠を望んでいる夫婦の場合はとても優しい言葉になるように思います。不妊治療仲間の方には羨ましがられましたが、私はそんな言葉より、1年でもいいから、お酒を控えたり、だいたいの排卵日を把握したりと一緒に頑張ってみて欲しかった。



もう5年以上前のことですが、この時期の話、心持は、いつ話しても涙が止まらなくなります。子供が授からなかった事が悲しいのではなく、とてつもない寂しい哀しい孤独な当時の気持ちを思い出すんだと思います。

不妊治療は本当に精神的にも体にも女性の負担が大きいと感じますが、それにパートナーとの意識の違いが大きいとより一層辛く悲しいものになると思います。というより、それが一番苦しむ要因になるなと実感しました。

女性があまり望んでなくて、男性側が強く子供を望む場合でも、女性にかかる精神的な負担は大きいと思います。



不妊治療は同じ境遇の人と励ましあって話をしていても、一方が子供が授かるとどちらも気を遣うことになりますし、パートナーに思いを伝えられるのが一番いいですが、それが出来ない時や気持ちを分かって貰えないと感じる時は、経験された方に話せたらいいのではないかなと思います。



そういう思いから、ココナラで不妊治療の相談電話を受け付けしていますが、あの当時の私にもそうやって話を出来る人が居たらあんなに孤独感に押しつぶされることも無かったのではないかと思います。当時、友達や後輩から不妊について相談を受けた事がありますが、その後後輩からは連絡が無く、子供が生まれたのを人づてに聞きました。素直に嬉しく思いましたが、後輩は私には気を使って言えなかったのかなと思いました。



悲惨な状況だったかというとそうでもないんです。衣食住整っていて、夫も元気で働いている。だけど、なにかスッキリしない心持ちで何となく毎日を過ごしていたなと思います。



近所の方や、知人に頂いた、子供が授かるように願いが込められて作られた『子供が授かるお人形』は、沢山の人の子供が授かる瞬間に立ち会ってから私の所に来ています。実際の赤ちゃんと同じ重さ大きさの~小さいの迄、3体のかわいい子たちです。授からない私から他の人に渡すわけにもいかず、捨てるに捨てられず、今も押し入れに眠っています。



お義父さんの他界と、コロナ渦



不妊治療をしていた時期、お義父さんは大病を患い亡くなりました。長く入院していた時にあまり小まめに見舞いに行かなかった夫でしたが、お義父さんがまさか亡くなると思って居なかったようで、しばらくはひどく落ち込んでいました。


そうして少し月日が経って、世界はコロナ渦になりました。出かける事が難しくなり、地域の行事や役の会議なども無くなり、子供たちも遊びに来れなくなって、家に居る時間が増えたころに、遠く離れた友達から『今、こんまりさんのときめくお片付けを参考にして、家中の片付けを始めたの!すごく良いよ』と聞きました。その友達は、片付けが苦手な子で、私と同じくパートナーと二人暮らしでした。それを聞いて、こんまりさんのYouTubeなどを見るようになり、この広い家の中を片付けようと決心して、そろそろと片付けを始めました。



元民宿の、広い広い収納場所も豊富な家の片付けは、その後1年半ほど続きます。

つづく

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