ミュージアム案内 「高井鴻山記念館」

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学び
こんにちは。

ミュージアムはお好きですか。

大きな博物館などは展示物がいっぱいで好奇心を刺激しますが、
今回は、長野県小布施市にある小さなミュージアム「高井鴻山記念館」をご紹介します。

最初に一つ、お願いがあります。読み進めていくにあたって、一緒に出掛けている気分で読んで頂きたいです。

って「高井鴻山?なんて読むの?誰?」と思いました?安心してください。私が得た情報でできるだけわかりやすくご紹介します。(笑)

名前の読み方は「たかい こうざん」です。高井家は、北信濃きっての豪農商で、京都九条家などの御用達を勤め、小布施を拠点に、信州はもとより、江戸、京阪、北陸、瀬戸内までも商圏とする大きな商いを展開しました。高井鴻山は、その高井家の当主を勤めた人物です。豪商でありながら、画家、書家、思想家、文人としても活躍した江戸末期一級の文化人です。「な~んだ、いいところの子なんじゃ~ん」と思ってしまった私。もしかしてあなたもそう思いましたか。確かに、いいところの子ですよね。生まれた環境に恵まれています。でも、せっかくなのでもう少し人物像を探ってみましょう。するとなんと、現代というか、これからの時代の思想にもフィットする人柄だったようです!というのは、そもそも、おじい様が天明の大飢饉の時に蔵を開き、困っている人を救い、その功績が幕府に認められ「高井」とい名前と、腰に刀を付けることを許されたそうです。そして、鴻山はその恩恵を受け、15歳から16年もの間、京都や江戸へ遊学し、各第一人者から学問や芸術を学び、自由で幅広い人脈を築いたそうです。お父様が亡くなり、高井家の当主になってからも、学問思想に情熱を傾け、当時の日本史を彩った思想家や文人たちとの交流において、幕末日本の行く末を憂い、巨万の財力を惜しみなく使い、幕末の変革にかかわったそうです。また、江戸の浮世絵師「葛飾北斎」など、多くの文人墨客を招いて小布施文化の発展の他、飢饉の時には、おじい様同様窮民を救い、維新では教育立県を強調し、晩年には東京や長野に私塾を開いて教育活動に専念したそうです。ね、なんか、私たちが生きるこれまでの私欲に満ちた時代ではなく、社会貢献とかシェアなどの空気に変わっている今の変革期にぴったりですよね!
それに、80歳を超えた葛飾北斎がわざわざ江戸から鴻山を訪ねて小布施に来たなんて、財力と人柄がうかがえますよね。また、画家でもあった鴻山は、北斎を師と仰ぎ、北斎との合作も遺しました。
と言うのが、私が知りえた情報をもとにした、高井鴻山のご紹介です。


 では、ちょっと雨が降っていますが、ミュージアム「高井鴻山記念館」へ行ってみましょう!

記念館には、出入り口(受付)が2か所あります。国道側に面している「正門」から入りましょう。正門の横には、高井鴻山の銅像があります。受付の横には、こじんまりとした売店があり、切手や手ぬぐいなどのグッズが並んでいます。(ちなみに、私が訪れたときは「大妖怪展」開催中で、妖怪がプリントされたTシャツやうちわなどもありました。)



受付を済ませ「お庭」に入ります。すぐほぼ正面に「井戸」があります。そこにはこんな逸話が記されています。洪水で用水が枯れ民衆が水に困った時、家人がこの井戸水を使って風呂を立て鴻山に進めたら、鴻山は「皆が飲み水にも事欠いているとき、自分だけ風呂に入ることはできない」と家人をたしなめた、というお話です。私は、速攻、心の扉がOPENしちゃいました。良かったらあなたも一緒に全開して新しい空気を入れていきましょう。

ではではそのまますぐ左手へ進みます。そこには、白壁のお蔵があります。「第一展示室 文庫蔵」です。文庫蔵は、鴻山が書庫として使用していた蔵で、鴻山が毛筆で書いた幟旗や硯などの遺品、妖怪の画なども展示しています。私は「絵は表情、文字は人柄を表す」と思っているので、丸みのある鴻山の絵と文字からは、愛嬌の良さとかわいい印象を受け、ちょっと驚き親しみを抱きました。

今度は靴を脱いで右手に進みましょう。すると、畳の部屋に繋がっています。二階建ての京風建築「ゆうぜんろう」です。もともと、鴻山のおじい様が隠宅として建て、鴻山は書斎兼サロンとして使っていたそうです。鴻山の下を訪れた、幕末の志士や多くの文人墨客が、ここで語り合ったそうです。2階の奥の床の間には火鉢があり、畳が擦り切れるほど火鉢を押し合い討論したことも紹介してあります。建築から200年余りが過ぎている建物なのにとっても小綺麗に保たれていて脈々と受け継がれる愛情を感じます。また、各部屋からの眺めが良く、つい、1階でも2階でも無意識に畳の上に正座しちゃいました。緑の眺めの他、2階からは、町の屋根が波のように連なって見え平和を感じます。「天気が良ければ、きっと、長野の神々しい山並みも、見えるのだろうな」と想像し清らかな気持ちになりますね。

では、改めて、整えられた「お庭」に出ましょう。庭園には背丈や幹、枝葉の大きさや形などが様々な植物があります。雨を受けている緑は、一層イキイキとしていますね。庭の脇には、細工や炊飯の仕事につかえる人たちが作業をした建物の基礎が残っていて、賑やかな様子を想像して楽しくなっちゃいます。庭の壁は、ただの壁ではなく、俳句などが展示されています。歩きながら、他人の考え事や考え方、思いに触れることができて得した気分。

もう一つの受付を過ぎて、すぐの左右に蔵があります。右手は「屋台庫」です。北斎の「怒涛図」で有名な、上町の祭り屋台を収納していたそうで資料が展示されています。変わって左手の蔵は「穀蔵」でしょうか。高井家の主な家業は、酒造りだったそうで、酒米のモミを収める蔵がたくさんあったそうです。穀蔵は、現存する1棟だそうですよ。中には、今回の企画「大妖怪」の画が並んでいます。鴻山は、晩年、妖怪の絵をかくことに没頭したそうです。私は、「広い知見を持って歩んだ人生の末に、なぜ?」と、すっかり鴻山についてもっと知りたくなっていてる自分に笑っちゃいました。ですが、どこか楽し気で、恨めしさも感じる妖怪の画は「自分の知りえない事柄がたくさんあること」や「自分自身のうちにも知りえない部分があること」を教えてもらった気がします。

ということで、「高井鴻山記念館」へのお出掛けはここまでです。

私は、高井鴻山に興味があったわけではなく「庭園と日本建築を見たい」と思って出掛けた「高井鴻山記念館」ですが、思いがけず、高井鴻山という人に興味を持ち感動できたお勧めのミュージアムです。


「リアルに出掛けたい」と思って頂けたら嬉しいです。

その際はくれぐれも安全と健康に留意してくださいね!

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