ドイツ語暗号解読 イギリスの息子編②~1910年、ロンドンにて~

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とにかく、キーワードになるような単語、文が一つでも分かればいいのだが。
もじゃもじゃっと書かれているから、とっかかりがつかめないのです。
しかも、古い文字だしさ。1910年なんて、日本はまだ明治時代だぞ。
お母さんに宛てた手紙、イギリスの息子ということだけでは、世界観の特定にまでは至らない。

部分的には分かるところもあるのです。例えば、「お母さん」の後は、洗濯物・・・の話じゃなくて、天気の話だということが分かった。
その後からちょっと問題。
Juni ist nicht März
と読める部分がある。
「6月は3月じゃない」
はい、ええ、分かってます。6月は3月じゃないですよ?

この文が、「なるほど、確かに」と思えるには、前後関係で何らかのキーになる一文がなければならない。
「6月は3月ではない」という一文を不自然にしない流れってなんやろか・・・と私は無駄に頭を悩ませてしまった。

無駄に頭を使うより別の可能性に目を向けるべきである。
つまり、解読が間違っているという方向で考えるべきなのである。
ちまちまと地道な作業一つ一つの中にも、小さなアウフヘーベンがあるのですね。選択・取捨・発展の三つのAufhebenです。

別の発想が必要な時は、別の方向から物事を見ることが大事です。
そこで、私は頂いた画像データを回転させてみた。
Märzの部分、この形状、どこかで見覚えがあるな・・・あれってなんだっけ、ええと・・・
Herz、Herzogじゃないか???

そうしてみると、次に来る単語が人の名前っぽい。Fra・・・Fere・・・とかそんな感じでFで始まるやつ。
Herzogはヘルツォーク、つまり侯爵とか大公とかそんな称号なのです。
F・・・大公って人の名前じゃないだろうか?
そうなると、その次に来る単語が、いとも簡単に「プリンセス」だと分かった。

これ、この世界観!これを私は待っていたんだよ!!
ちょっとコレキタ!イギリス王室系の話になるの?と、ここで一気にワクワクしてきちゃいました。

そこで、重要になったのがポストカードの日付1910年にイギリスで何が起こったか。
はいはいはい!!来ましたーーー!!
1910年5月に、先の国王エドワード七世が逝去なされていたのです!
このF・・・大公というのは、新しい国王のことじゃないだろうか?

ポストカードは1910年6月の半ばに書かれたもの。
時期的に、先月あった葬儀について触れてもおかしくない。
調べてみると、1910年5月に、新国王、ジョージ五世が即位している。Fじゃねーじゃん。と思うでしょう。ですが、ジョージ五世の名前は、もっと長くてですね。
Geoge Frederick Ernst Albert
なのです。
Fの部分は、FrederickのFだったのでは?!

ぎゃっふーん!とテンション上がりました!
うきうき!と、これをフレデリック大公として文を日本語に訳してみた。
だが・・・あれ?なんかおかしい・・・と気が付く。

なんでまたプリンセス?
だって、普通、大公夫妻とか、大公と大公妃じゃない?
国王なら、王妃だしさ。王妃差し置いてプリンセスがここで出てくるのは違和感がある。
エドワード七世が亡くなったことで、戴冠式、もしくは国葬の参列。
だったら、奥さん出てこないのは絶対にオカシイ。

調べると、正式な戴冠式はその次の年、1911年である。だが、父王の死後、すぐにジョージ五世はすでに即位していた。となると、葬儀または即位に関連するセレモニーがあったはず。
うん?奥さん?どこ?いなきゃヤバいじゃん。

F大公って、ジョージ五世のことじゃない・・・かもしれない・・・。
そこで、私はエドワード七世の葬儀の参列者リストを調べた。
別のF大公の可能性を探るためです。
1910年当時、Fが付く王族、大公が結構ヨーロッパにいた。
ルーマニアのフェルディナント、デンマークのフレデリック、メクレンブルクのフレデリック、ブルガリアにもフェルディナントが・・・・
フェルディナントとフレデリック率高い!

だが、その中でこのF大公としてこの人以外に考えられない人物を見つけた。
フランツ・フェルディナント、オーストリア大公。
ヨーロッパ史に詳しい方なら、この名前でぶわっと歴史の風を感じるでしょう。
1914年、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件。
奥さんと共に殺されてしまうオーストリア公、フランツその人です。

ドイツ人の息子が注目する参列者として、このフランツ公が一番可能性がある。お隣の国オーストリアですからね。
そして、なぜ奥さんではなくて、プリンセスについて言及しているのかという謎もこれで解けるのです。

フランツ公の奥さんは、身分が低かったため、結婚に大反対され、かなり差別的な扱いを受けていたようです。もともと女官だったそうです。
1900年に、大恋愛で身分の違いを乗り越えて結婚したはいいが、ずいぶんと差別的な扱いを受けていたんですね。
公の場で、フランツ公と並ぶことが許されていなかったそうです。
このエドワード七世の葬儀にも同行を許されなかったのでは?
通常の公務では、奥さんの代わりに、大公の隣には、もしかしたらまだ小さいはずの娘が連れられていたのではないだろうか。
奥さんのことが出てこないはずだ。

そんな王室スキャンダルというか、世紀の大恋愛、注目の人ですから、ヨーロッパの人なら言及したくなっても不思議はないです。

この息子さんは、多分、数か月前からイギリスにいた。
葬儀が行われていた期間、参列者の数、市民も何万人と集まっていたらしい。その時のロンドンはすごい混雑だったはず。フランツ公もプリンセスも見るチャンスなんかなかったよーという、呑気な報告をしていたのではないでしょうか?

ポストカードの暗号解読、前半の山場編でした!
後半の山場は次回☆

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