ドイツがどんなに素敵かという話

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ここ二回のブログ記事で私が如何にドイツが嫌いなのかということはお分かりいただけたのではないでしょうか。
それにも関わらず、私はドイツに関心があり、やっぱりドイツ、いいなぁって思うこともあるんです。

ドイツでいいなと思うこと。
文学、芸術、音楽、哲学など、本質をついていると感じさせる作品が多いこと。
オペラでも、イタリアオペラの方が好きという人も多いでしょうけど、やっぱりドイツオペラだな!と感じる人も多いのではないでしょうか。
なんというのか・・・ドイツってやっぱりロマンティストが多いんじゃないですかねぇ。
ドイツ好きな人もロマンティストが多いんじゃないかなと感じます。てへ。

ヨーロッパというと、イタリアやフランス、イギリスに注目が行きがちです。ドイツにはその華やかさはあんまりない。むしろ、土臭いところがある。
そこがイイ♡

イタリアやフランスは日常生活そのものが音楽であり、芸術であり、どこかラテン的楽観さが感じられます。
ドイツには、まったくそれがない。むしろ、どんくさい感すらある。
そこがイイ♡

ドイツ文学などにも、イタリアやフランスに影響を受けた作家が軽い作品を残していますが、どこかぎこちないんですよね。リズム音痴であか抜けない感じ。
そこがイイ♡

人間の滑稽さ、タークサイド、暗い部分や嫌なところ、割り切れないこと、後味がほろ苦いところなんかは、やっぱりドイツならではと感じるのです。

古今東西、作家や芸術家といった表現者はマイノリティー、少数派の中から出てきます。多数派、一般人は、芸術において観客もしくは背景に過ぎないんですよね。残酷ですが。私も哀れな観客の一人ですが、せめてその作品を追体験できるような感受性は持っていたいと思っています。

ドイツでは、その少数派、表現者の才能、その作品のインパクトが突出している。
それがドイツ国内ではなく、いきなりダイレクトに世界に衝撃を与えるのです。物の見方、考え方から世界観までごっそり変えてしまうパワーを持った作品、後々にまで影響を及ぼす作品が多い。

表現者、芸術家は常に「ここじゃないどこか」を探しているわけですが、ドイツに住んでみてわかったことはそれなんです。
「ここじゃないどこか」に憧れるエネルギー、つまり、現状に対する絶望感がドイツでは半端ない。

突出した才能を持っている人間が、ただの「すごい人」「変な人」というだけでなく、それ以上の存在となるには、その「現状に対する絶望感」「それを近くの人と分かち合えない閉塞感」というスパイスが必要なのではないか?

つまり、大多数の平均的ドイツ人の感受性、共感力や理解力が低いから、突出した才能の持ち主が孤独感・閉塞感からその才能を磨き上げ、「それ以上」の境地へたどり着きやすくなっているのではないかと私は仮説を立てています。
(決して知性が低いと言いたいのではない。ただ自分の考えと違う考え方に対する理解力・共感力は低い。固定観念に凝り固まってしまい、別の見方をするのが苦手なのかなと感じます。自分とは別のもの、違うものを受け入れるのが下手。特に食に対する警戒感はムスリム圏と似たり寄ったりかもしれない。さらにギャグ、ユーモアのセンスが壊滅的)

様々な文化の融合がかなうという点で、日本は文化的には相当恵まれていると思います。日本は、割と新しいもの好き、良いものをはぐくむ土壌が伝統的にある。
日本では、新しい文化を「面白がって」受け入れる人が多いです。特に食に関して、日本ほど外国のものを喜んで受け入れる国はないのではないかしら。
ただ、そこに独創性はあんまりない。
1+1=2、そして3、4・・・と発展させ、洗練させ、それ以上を狙っていく感じです。
西洋文化、特に洋菓子、チョコやケーキ、ワインやチーズなど、日本の食材や伝統技術を取り入れて発展、洗練させ、ヨーロッパでバカ受け・・・というストーリーがよくありますが、あれは、本当に日本人だからこそだと思います。
外国文化をリスペクトした上で、発展・洗練させる感性があるんですよねぇ。

ドイツには、発展や洗練というキーワードは出てこない。ただ、その独創性がぴかっと光っているような気がするんですよね。
1×1=1これが正解、これ以外にはない!というのが、ドイツの外国文化に対する数式じゃないかと(笑)

だけど、ドイツでは、一部の少数派たちから、ゼロから1が生み出されるのです。絶望感と閉塞感を母として。
何か期待させられてしまう。ドイツの少数派なら、なんかやってくれそう!そんな期待感です。
平均的大多数のドイツ人が頭固くて排他的、共感力・理解力が低い、センスが壊滅的に悪いからこそ、ドイツで「いい人」と思える人はめちゃくちゃ天使のようにいい人ばっかりなのです。突出しているのです。

ドイツのような国で、「いい人」として生きるのは簡単じゃないはず。才能ある天才、洗練されたセンスがある人も、アメリカやフランスに行った方が楽に生きられるのに、あえてドイツにいる人たち・・・。
少ないけど、そういう人たちがドイツに存在している、存在できている。

だから、ドイツにどんなに嫌気がさしたとしても、しばらくするとやっぱりドイツに行きたくなるんです。

ぶっちゃけ、ドイツ人ってヤな人が多い。(・・・ような気がする)
法に触れなければ、それでいい・・・そんなことばかりで、ズルい人がますますズルになれる国です。ここ数十年以来、ドイツもアメリカンナイズされてきている印象がありますが、法的にOKならそれでいいという文化と「時は金なり」のアメリカン思想が合体して、ますます嫌な奴に成り下がってる。(・・・ような気がする)。
さらに、ドイツは、ヨーロッパ人の嫌なところ、「自分さえよければそれでいい。自分以外の誰かが苦しんでいるならかわいそう」の無意識の態度が、フランス人より陰湿だ。(・・・ような気がする)

だけど、そんな中にも「人としてどうあるべきか」「どうありたいのか」という本質をちゃんとわかっている人たちがいるんです。
数少ないけど、確実にいる「素敵な人」、確実にある「素敵な作品」に出会える幸運がドイツにはあるのです。ドイツでは、その幸運が、砂漠の中のオアシスみたいに存在してる。

少数の変な奴、すごい人、ごくごく少数の本質を分かっている人たち、そしてその作品を見つけるたび、心の交流ができた気がして、繋がった気がして、うれしくなるんです!
悩んで、苦しんで、それでも何か正解を探してもがいている・・・ドイツの名作として残っている作品は、その苦悩の跡がちゃんとたどれるんです。
屈折しているけれど、これが私のドイツ好きな理由なんですね。
・・・そろそろドイツに行きたくなってきました!

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