先日、投稿したオバ見え問題についてのブログを書いた後、あ・・・(恥)という気分になったんです。
今年の夏くらいの話。
二胡で新しい曲にチャレンジしようと思い、ユーチューブで探してたんですよね。
その時に偶然見つけた二胡動画がとても気にいりました。
小林寛明さんという二胡奏者、なのかな・・・いろいろな楽器を扱えるので、音楽家といった方が正確かもしれません。
色々な曲をアレンジしている方です。
すごいカッコイイ・・・なんかソウルを感じる・・・
というわけで、その小林さんのアレンジ楽譜、ビートルズのHey Judeを購入。ユーチューブにアップされているので、ご興味のある方はぜひご覧になってみてね☆
この曲の楽譜を買うと、主旋律のAバージョンと、Bバージョンの楽譜、そのの音源などがセットでついてきておトク♡
最近は、Bバージョンを練習しています。
そして今、このBバージョンをAの主旋律に合わせて弾いてみようと練習しているのですが・・・
ちゃらら・らった・らららーら~
私、リズム感ないんです!
一人で勝手にそぞろ弾く程度ならいいんですけど、誰かと合奏するとかなると、これは致命的。
せっかくBバージョン弾けるようになったのだから、Aバージョンと合わせたいじゃないですか。
だから、音源に合わせて演奏する。
そして、あらびっくり。
その「ちゃらら・らった・らららーら~」のところで、いつもびっくりするのですΣ(゚Д゚)
どこかでずれてるみたいで、テンポが合わないのです。
思い起こせば、数年前。ギター弾けるという人とお知り合いになり、じゃ、合奏しようという話になった。
その時に・・・私の二胡、そもそもで音がずれていたということを知る。二胡は、Aの音とDの音に合わせるのですが、音叉持ってないので・・・・
ずれた音のまま、気づかず演奏してたようなんです。
一緒に、音叉アプリでAの音を合わせようとしたら、ずれずれのずれまくりで恥ずかしかったなぁ。
一緒に、「涙そうそう」など合わせてみたけど、相手さんが苦労してましたね。
リズム感がない人と演奏するのは無理なんです。
私がちゃんと相手の音を聞き、音楽の絶対原則、リズムを守らないとだめなのです。
音楽は、リズムと音程が、原則中の原則。
宇宙法則なのです。
それを無視して複数の人と、音と、音楽を楽しむことはできません。
音楽と数学には共通点が多いと言われます。
音楽には数式はないけど、楽譜という宇宙の中に緻密な計算をもとに作られた世界があるのです。
だから、音楽は宗教にもよく使われます。
すべての人が、どんな世界観や法則や法律・国・言語・人種性別年齢・・・そんなの関係なく、みんなが平等に楽しむためには、その大原則を守らねばならない。
そしてピタッと音が合った時、リズムがはまった時、それは偶然ではなく必然として一つの世界が立体的に出現するのです。
法則なしにこの奇跡を実現させることはまず無理だ。
原則無視して、この境地にたどり着くことは不可能だ。
一人で楽しむだけの世界と、複数の人と一緒に楽しむ世界の違いなのですね。
複数の人と、確実に、その立体世界を体感しようと計画すれば、緻密な計算が必要です。音楽というのは、そういう緻密な計算の上に成り立っている世界、数学の世界なんです。
狙い通りの効果を出せるかどうか・・・偶然「今、合ったね!ぞくぞくするぅ~」というキャッキャウフフのお遊びじゃないんです。
合うため、ぞくぞくするために。または合わせるために、ぞくぞくさせるために計算に計算を重ねてあるのですね。
私のような原則を知らない者が、原則無視したまま楽しむことはできないのです。
一人で楽しむ分には問題ないけど、その一人の楽しみは小さな世界で、複数の人と分かち合える世界じゃないんですよね。
オバ見えの話で、「・・・一人で楽しむだけの人間と、複数の人間関係を持っている人で、世界観変わってくるなぁ」と、実感したわけですよ。
多くの人は、複数が絡む世界、一人の世界よりは大きい世界で生きていますから・・・オバ見え厳禁、他人にオバを感じさせるとペナルティを受ける。
オバという現象は、あってはならないのです。
老いという自然現象は克服されなければならないのです。
少なくとも、他人に老いを見せてはいけない、オバでその場の空気を乱してはいけないのです。
自分勝手な自己満足では、偶然の一致が奇跡となり、楽しいこといっぱいです。
一音合ったというだけで、おぉ~!!今、合ったね!と大はしゃぎするわけです。
複数の人と一緒の世界は、必然の一致、予定された結果を狙って来てますので、計算通りに物事が進み、「偶然」は「必然」なのです。演出された偶然、必然を狙って来てるんですよね。
一音合わなかっただけで、テンポが0.0何秒ズレただけで、厳しいペナルティを受けるのです。
どちらがいい、悪いということでなく、どっちにもメリットあります。
まず、一人の小さな世界では、偶然の一致で感動する瞬間がある。
例えば、演奏している時に、ドングリが落ちる音が聞こえたら。
窓がガタガタっと風で揺れて、リズムを刻む瞬間があったり。
服装についても、好きな服を着てたら、町中で「おそろ」の人とすれ違っちゃったら「まぁ♡」という気分になる。
自分の世界観、今日のご機嫌と合う服装をしている人がいるなんて~と、なんかご縁感じちゃうわけです。
通勤用スーツでは感じることができない感動です。
昨年の私のブログでご紹介した「厄クッキー」などもそんな偶然の産物。
私が几帳面でレシピ通り、手順通りに作る人間だったらまずできなかったでしょう。
参照↓
だが、この場合、狙ってこの効果を出すことは難しい。
偶然の産物のため、再現不可能。
一期一会の刹那な世界です。
感動は倍増するけど、たった一度きり。
人は感動を再現しようとする生き物です。
その瞬間を何度も再現しようと、色々な発明をしてきました。
だって、国を超えて、時空を超えて、何度でも同じ感動を分かち合いたいから、、、、なんですね。
奇妙なことに、すべてが必然、緻密な計算に基づいて作れた、儀式化している茶道の世界では「一期一会」が大事にされます。
同じものと、毎回違うもの、両方を味わう世界なんですね。
当然、お茶室入るためには、基本原則を理解していることが要求されるのです。
日本の文化は二極対立の世界観ではないところが魅力。
オバでもオバでなくても、楽しめる世界観を目指していきたいと思います!
ちなみにタロットカードも偶然の産物の一つです。
その時、その場所で、その人にしか出ないカードと配列で楽しむことがてきるるのですよ♡