王様の耳はロバの耳だったり、王様が裸だったり、色々世に中には言ってはならぬことがあります。
だけど、言ってはならぬことを言ってしまう人もいます。
そういう人は、たいてい嫌われます。
去年、「ルッキズムは良くない」というネット記事を読みました。それに対してどこかのモデルさんが「きれいを頑張る人がいたっていいじゃない」というようなツイートをした。
いや、このイマイチ論点がズレている対決どうなるのだろうとこっそり楽しみにしていたのですが、別にそんなに話題にならなかったですね。
どーでもいいわ!というご意見が大多数だったのかも。
ルッキズムの問題。
私の個人的意見としては・・・結構微妙なラインですね。
自分の力では変えられないこと、どうしようもないことを指摘するのは、ただの意地悪です。
だから、ブスとかデブとかメガネとかチビとかハゲとか、そういう見た目で区別できる指摘をするのは当然ダメです。
王様の耳がロバの耳なのも、裸なのも、当然言ってはならぬことです。
だけど、「俺はただの意地悪な人間だからな」と開き直っている人だったら?
イジワルして他人を嫌な気分にさせる、ただの嫌われ者を自認している人物だとしたら・・・
見たままの本当のことを忖度しない子供のような生き方をしている人がいたら・・・
これはもう止めようがないね!
みんなが思ってて、言いたいけど言えないことを、空気を読まずに発言するという役割を担う人も社会には必要です。
古い時代で言えば、「ピエロ」「道化師」がその役割を担っていました。
地域によっては、この道化師、王様お抱えだったそうですよ。
王様だろうと誰であろうと、イジリ倒すお仕事です。
普段は、市井の人にバカにされるお仕事です。
タロットカードで言うところの「愚者」ですね。
トランプでいうとジョーカー。
プレイによっては最強のカード、そして別のプレイでは最凶のカードになります。
現代でいうと、お笑い芸人やコメディアン、劇団やジャーナリストや批評家のような立ち位置でしょうか。
最近では、そういうお仕事の人も忖度が必要になって、やりにくい立場になってますけど。
「社会全体として、そっちの方向に行きましょう!ルッキズムはダメでーす。はい、反論するやつ全部差別主義者だからなー。だって私たちは民主主義社会の一員ですもの、みんな平等で、多様性を受け入れ合うからですわ!」
とキモイ主張する人、私嫌いです(プイッ)
私も女子のはしくれとして、ブスとかデブとか言われた経験あるんですよ。
ブスと言われて、反論できる人がいると思いますか?
ブスという言葉は最終兵器、核兵器のようなものなのです。
意味なく絶望感、敗北感を味わわされた女子がなんと多いことか・・・。チーン。
パレードの途中で「王様は裸だよ」と指摘された王様がどんな気持ちだったのか想像するだけで、私が穴があったら入りたい・・・。
もっと嫌なのは、ブスとかデブとかメガネとかチビとか・・・目に見えることを指摘されるとですね。
そういう核兵器使われるとですね・・・誰もかばってくれないんですよ。
同じ女子ですら、「ちょっと男子ー」ってかばえなくなるんです。
だって、その子も「お前もブス」「お前はデブ」とか・・・標的にされるリスクをかぶることになりますから。
容易にイジメに発展してしまう。恐ろしい学園生活の始まりの予感しかないです・・・。
裸の王様も、お城に帰って引きこもったことでしょうね。
お付きの人のこと、誰も信用できなくなってしまいますもん。
だからといって、嫌われるからという理由で本当のことが言えない世界ってどうなんでしょうね。
嫌われたら生きていく場所がない世界ってどんな世界なんでしょうね。
差別になるから、美人コンテストをやめろという人たちもいるんですよ。
ちょっとそれは勘違い甚だしいと私は思いますけどね。
この世には、音楽の才能がある人、スポーツや絵をかく才能がある人、料理を作ったり、まぁ、様々な才能を持っている人たちがいる。
じゃ、オリンピックとか芸術コンテストや文学賞をなくしますか?差別でしょうか?料理対決なんて、もってのほか?
特に料理対決なんて、差別と特権意識がごった煮になってるようなもんですよね。産地差別はあるしねぇ。鮮度差別もありますしね。遺伝子組み換えかそうでないかという差別もありますし。
人間でいえば、ルッキズムだけでなく、出身地、年齢、出自などの差別に当たります。差別のオンパレードじゃん。えり好みしてより分けてます。サイテーですね!!
さらに、ドレスコードなどを設ける店もある。客を経済状況や社会的立場で差別しまくり。美男美女は外から見えやすい窓際の席に案内する・・・なんて見た目差別、平気でやってますよ。
ブスを差別するな、美人を優遇するなというのなら、まず目の前の食卓の差別からなくすべきだ!とは、誰も言わない。
自分の才能を発揮する場があり、それとして認めてもらえる場があることは、とてもすてきなことだと思いますがね。
みんながみんなオリンピック目指してるわけじゃない。この世に生まれた女はすべて美人コンテストに出場しなきゃいけないわけでもない。
私たちは差別にまみれて生きています。
気が付かないレベルで差別だらけです。
それをいちいち数え上げて「あれだめ」「これだめ」ってあげつらっていたら・・・
息苦しいですねー。
私、窒息しちゃうかもしれません。
何が差別に当たるか、なんて個人の感覚です。
それを社会的にコントロールしようとすること自体、なんか気持ち悪い。
社会でNOというのではなく、個人でNOと言える社会になればいい。それだけの話です。
現実問題として、生涯賃金は、美人の方が高い、らしいですね。
そりゃ、どこの採用担当者も能力が同じなら美人の方がいい、美男子の方がいい。じゃ、整形というのは、とてもいい自己投資だということになる。
結局のところ金で動く世界は、そういう矛盾にぶち当たるんです。
金という画一的な判断基準しか持たない人間は、好きなもの、よいと思っているもの、素敵だなと思うこと・・・
すべてお金の価値で理解しようとします。いくら儲かるか、稼げるかで判断します。
お金の動く方に流れていくと・・・自分を規格内の標準に変えるしかなくなってしまうんです。
人と違う個性なんて無駄に持たされても、自分を苦しめるものにしかならないのです。
今更、ルッキズムは良くないと主張するより、すべてのものを金で判断するの、止めましょうという方が理解が早い。
そして他の価値観で回ってる場所や人間関係があったっていいじゃないですか。そういうの、増やしていけばいいじゃないですか。
美人が得する世界があってもいいし、ブスが優遇される世界があってもいい。
忖度する人が出世する世界があるなら、忖度しない人たちが楽しく正直に生きる世界があってもいい。
お金以外の評価基準を持ってる世界、別の価値基準で回ってる世界がある。そこで生きていくことができる。
そっちの方が素敵じゃない?
ぼかぁそう思うなぁ!
当たらない占い師がいる世界があってもいいし、「ちっとも当たらねーじゃんか」と客が文句言う世界があってもいいんじゃないですかね。
ブスしか採用しない会社があってもいいし、学歴ないやつしか信用しないという社長さんがいてもいい。
そういう独自の価値観で回る小さな世界がたくさんあちこちにできたら、きっと楽しいだろうなぁ!