適応障害になった話

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皆さん、こんにちはYukaです。

本日は以前自分の身に起こった話を書いていこうと思います。

皆さんは「適応障害」というものをご存じですか?

現在、この病気に悩んでいる方もいらっしゃると思いますし、聞いたことがないという方もいらっしゃると思います。

そのため実体験を元に適応障害についてお話ししていきます。

適応障害とは


特定可能なストレス因子によって引き起こされる、著しい苦痛を伴い日常生活に支障をきたす感情面、行動面の症状
引用:MSDマニュアル家庭版 適応障害

ここに書いてある通り「特定可能なストレス因子」があるということです。

ストレス因子は単一の独立した出来事(失業など)、複数の出来事(金銭的、恋愛的挫折など)、持続的問題(強い障害のある家族の世話など)の場合があります。ストレス因子は、 心的外傷後ストレス障害(PTSD)でみられるような、圧倒的な外傷的出来事である必要はありません。
引用:MSDマニュアル家庭版 適応障害

これは現在の社会だと主に「仕事」であることが多いです。
私がカウンセリングで得意としている「恋愛」でも起こることが多いです。

「恋愛なんてそんな病気になるのか」と思われるかもしれないですが、仕事でも何でも一番悩ませるものは「人間関係」です。

日常的に一定の負荷がずっとかかっている状態で過ごしており、段々その状態に慣れてきてしまいます。

ただ、これは「我慢」をしており、「大丈夫だろう」とか「このくらいみんな普段から経験していることだ」と考え、自分の悲鳴に気づきません。

結果的に、ある一定のラインを超えた瞬間や、逆にその負荷が無くなった時に一気に疲れていたこと、しんどかったことに「気づくことで」ダウンしてしまうことも少なくありません。
(ここ結構重要!負荷が無くなった時も危うい!)

そこで自分の悲鳴に気づけたという点では良かったと思います。
これに気づかずに頑張り続けて、最終的にうつ病になってしまうことも多いです。

適応障害と診断されるまでの経緯


私は会社でシステムエンジニアとして働いておりました。

そこでは主に製品のソフト設計からプログラミングまでの工程を請け負っておりました。

当時私はまだ担当職の立場であったため、指示された仕事をこなすことがメインの仕事でした。

そこの部署は納期が厳しく「なる早」で作ることが求められるため、「とにかく早く作る」ことをモットーとしていました。

そのため一つの仕事が終わればまた違う仕事が降ってくることが多く、処理速度が速めの私は、「もう終わったんだ!」と言われ、新たな仕事をバンバン振られることが多くありました。
(処理速度についてはWAIS-IVの検査を受けたので、後日別途記事にします…!)

いつしか「終わった」と報告すると、どんどん仕事が振られる状況に嫌気がさして「終わった」の報告を後ろ倒しにするようになりました。
(本当はダメよねァ,、'`(・ิL・ิ●),、'`'`,、)

ただそれでは終わらず結局遅めの報告をしたところで、「降ってくる仕事は変わらない」ということに気づきます。

何故かというと結局「人数が足らない」ので、それをやったところで「◯◯さんなら大丈夫」という理由で仕事が積まれるのです。

そうなると毎日残業して21時から22時に会社を出ることは当たり前でした。

それに加え、毎日通勤時間に往復で4時間程要していたため、1日の生活リズムは悲しいほど家と会社の往復でしかなかったです。

23時過ぎに家に着き、1時までに寝ないと6時間寝れない状態だったので、ご飯を食べて、お風呂に入り、少し家事をしたらもう寝なくてはならない状態でした。

ここまで聞くともっと大変な人からしたら「そんなことで?」って思われるかもしれないですが、「私のキャパ」では辛かった…。

現在の方に多いかな?と常々思っているのですが、「ワークライフバランス」が重要視される世代では、「自分の時間を確保する」ことが大事で、「仕事は仕事でしかない」です。

前の世代の方が「昔は会社に徹夜した」「日付越えるが当たり前」と仰っているのを聞いて「凄いな〜」とは思いますが、私はそこに重きを置く価値観ではないです。

「仕事を仕事として一生懸命やること」は大事ですが、それ以上でもそれ以下でもないので、私の健康や時間を削ってまでやりたいとは思わない。

そして今この価値観は現代社会では浸透していると考えています。

仕事にやりがいは大事ですし、楽しくやっています。
仕事での人間関係も私は好きな方で、仲良くやれたらと思っています。
そのため飲み会も誘われれば行きますし、自分から飲みに誘ったりもします。

ただ、自分を壊すまで削りたくないし、削る必要もないということです。

話は逸れましたが、そんなこんなで自分の時間が無くなっていき「何してるんだろう」と考えていました。

半年前に彼氏と別れたことも引きずっており、メンタルはズタボロでした。
(色々と重なりすぎたよ)

ただ、そんな時に会社で新たにイベントの仕事を任されたのです。

正直「自分がと必要されること」を嬉しく思っていたし、どうにかすればできるという「過信」、そして「成長するよ」という言葉、尚且つ「引き受ける人が私以外いないという状況」であったため、リーダーを引き受けました。

そして、この仕事は「業務外」の時間を使って行う作業であるため、通常業務と業務外での業務を両立できるように、上の人にフォローするよう伝えるとのお話があったので、安心して受けた…はずでした。

そして同時期に「後輩の指導」も任されました。
これは自分がどうしてもやりたかった仕事。

結局、日々の生活は「物理的」にも「精神的」にもどんどん圧迫されていきました。

毎日21時、22時までの残業が続く中、イベントの仕事もやらないといけない。

リーダーを引き受けたはいいが、「初めてのリーダー」であるため、何から手をつけていいのかわからない。

誰かに聞けばいいのだが、通常業務で忙しく時間が取れない。
昼休みを使えばいいのだが、唯一自分の時間である昼休みを業務外とはいっても「仕事」には使いたくなかった。
(というか唯一のストレス発散の時間であった…)

毎日毎日「イベントの仕事やってないな」という罪悪感があり、土日でさえも仕事の事を考えなければいけない状況に嫌気がさした。

土日は考えなくてもいいはずなのに、土日しか業務外の仕事に着手できなかった。

結局イベントの仕事のチームメンバーからは反感を買われ、当たりも強くなり泣いてしまうことが多くなった。

チームメンバーはそれぞれ別の部署であるため、忙しさは伝わらないし、私以外は全て「仕事を振る側」の立場であったため、業務調整がしやすかったのだと思う。

そして通常業務のチームメンバーも大変さは理解していたと思う。
どうにもならない状況でどうすることも出来なかったんだろう。

ただそんな状況でも「どうしようも出来ないから、辛いと思うけど通常業務の方はしっかりやってね」という言葉は結構メンタルにきた。

「結局は上の人に何をいっても変わらないのだ…と…」
フォローしてほしいとの通達は何の意味もなさなかった。

本当に毎日会社で泣いていた。
(ほんとうのほんとうにほんと)

なるたけ人前では泣かないようにしていたが、最後の方は本当に酷かったと思う。

信頼している人の顔を見るだけで泣いたし、「大丈夫?」の一言だけでボロボロ泣いた。

結局イベントの方の仕事は私がリーダーなのだけれど、全く関わることが出来ず、いざチャットを追うにも、溜まりすぎて全く追えない。

「ちゃんとやらなきゃ」と質問をすると「チャットに書いてあるから読んで」と言われる始末で、2、3日前のところに書いてある。

何も把握できない状態でダメだなと思い、いつも会議に参加できないので議事録を頼むと「書けない」との話。

報告も全く上がってこないので、どんどん置いて行かれて最後の方は厄介者でした。

イベントの仕事に対して「やる気あるの?」と複数人のチャット内で詰められることもあり、結構限界でした。

「この人に何言っても無駄だ。言い訳にされる。」と思ったので話す気も起きなくなっていました。

「仕事が終わったらきて」と呼び出されて、会社に居残れるのは22時までですが、21時半頃に「終わってないけど行かなきゃ…」と思い、作業部屋に行くと淡々と話をされ、22時になったら外に出て居酒屋で続きを話す…。

通常業務の仕事が終わってないことの焦りや疎まれていると思いながら接するのは地獄でしかなかった。

次第に疎まれているのがわかっているからこそ、メンバーに対しても寄り付かなくなりました。

そしてイベントの前日、ついに爆発してしまう。

結局イベントの前日になっても仕事は忙しいままで21時くらいまでやっていた。
しんどいから帰りたいけど、みんながイベントの仕事をやっているから、仕事が終わってもイベントの方を手伝いに行かないといけない。

本当にどうしてもどうしてもいきたくなかった。

そしてイベントチームの私の上の人(優しい)と話をすることに。

大号泣して、今までの気持ちや不満をぶつけた。

ここにくるまで何回も「仕事が忙しくて両立出来ないから降ろしてほしい」と伝えたのに、今降りられるよりかはマシだという理由で、そのままになっていたこと。

忙しいということは理解しているのだろうけれど、「何もしていないこと」での罪悪感が酷いこと。

でも正直「通常業務優先」と言われている状況で、どうすることもできないこと。

この状況の中で土日も使ってやることがしんどすぎること。

リーダーという状況であり、一番最初の段階で仕事を振ったのだから「報告」は部下からするべきではないのか、ということ。
(皆んな私よりも普段の役職は上の人だから、正直私をリーダーに形だけ置きたかっただけなんだろうな…。)

決まった事を勝手に覆しておいて、私を「詰めてくる」状況はおかしいこと。
(いろいろあった)

とにかく、ぜーーーーーーーーーーんぶ話した。

大半の理解はされた。

当日に笑ってイベントに参加する自信は微塵もなかったし、なんなら倒れるだろうとさえ思っていたため、降ろしてほしいと懇願した。

ある程度の理解はあったのか渋々了承し、イベントの仕事を降ろして貰った。

これで全て治まったはずだった。

でも、次の日から会社に行くのが怖くなった。

それはイベントを前日に降りた事で、めちゃくちゃ怒っているということを聞いたから。

正直怒るのもわかるし、どうにも出来ない。

でも私はあの時本当にしんどくて、これしか方法がなかった。

そうなると会社で「たまたま会ってしまったらどうしよう」「人前でめちゃくちゃ怒られたらどうしよう」と疑心暗鬼になってしまっていた。

毎日会社で同期や仲の良い上司と食べていたご飯も、「その人達に会いたくない」との理由で、毎日外のコンビニのイートインスペースで食べるようになり、友達や親に電話をかけて時間を過ごした。

そんな日々を過ごしている中で、「何をしているんだろう」「何でこんなことになってしまったんだろう」と「まるで会社に自分の居場所が無くなった」ように感じてしまった。

これが一番の原因だろう。

自分のせいでいろんなところに迷惑をかけて、通常業務でさえも泣いてばかりでままならなくなったことに不甲斐なさを感じてしまい、一気に崩れてしまった。

そしてどんどん会社を休みがちになり、寝れないので朝起きれなくなった。

休んだら休んだで、「何をしているんだろう」と自分を責め、家でぼーっとしていた。

親が心配してLINEや電話をしてくるのだが、それに返す気もならない。

希死念慮も出始めていたし、前日に親との電話でその話をしていた。

夜の1時半頃にいきなり玄関のチャイムがなった。

恐る恐るインターホンを見ると警察官が2人立っていた。

出て話を聞くと親が心配して警察に通報したとのことだった。

その時に初めて自分の症状がひどい事を実感した。

荷物をまとめて警察に保護され、親が警察署まで迎えにきてその足でそのまま実家に帰った。

次の日ひとまず会社に向かったが、結局会社に入っても自分の席に向かうことが出来なかった。

また人目を気にする地獄の日々が始まると思ったから。

そのまま産業医に駆け込み、休職したい意志を伝え、かかりつけ医のところに向かい診断書が降りた。

「適応障害」だった。

まとめ(プチ考察)


いかがでしたでしょうか?

我ながら結構壮絶だったと思います。

でもね、周り本当にいい人ばっかりだったんですよ。

通常業務で一緒に仕事していた人も、私がどれだけ泣いても沢山話を聞いてくれる人だったし、前部署の人もずっと仲良くしてくれて話を聞いてくれる人だった。

同期もずっと心配してくれて、「忙しいんだから仕方ない、時間がないのはYukaのせいじゃない」と言ってくれてました。

それにはその時もちゃんと気づいていた…はず。
でも結局自分ができていないことの「不甲斐なさ」の方に目が行っていたし、自分の事を疎ましく思っている人ばかり目が行っていた。

休みの日を削って、自分の身を削ってでもでも一生懸命やらなきゃいけないと思っていた。

通常業務でも上司は私のことをしっかり評価してくれている人で、期待をされていた。

ただとにかく仕事が多かった。
そしてそれを担当職でどうにか回そうとする風潮もあった。

いい意味で言えば部署全体の責任感が強いけど、そのせいで担当職に皺寄せが行っている感じ。

複雑な事情が噛み合っていたと思います。

それは私の性格も含めて…笑
(ここ結構重要なの!だからこのブログ書こうと思ったの!笑)

「ワークライフバランス」を重要視する価値観も今回の要因に含まれてるんじゃないかなと。

世間一般が「仕事に全てをつぎ込む」価値観であり、自分がその価値観の中で生まれ育っていた場合、「違和感を感じなかった可能性」がありますからね。

「仕事に全てをつぎ込む」価値観で生きていたら、これが「当たり前」だと思って、仕事を沢山降られる状態を気にも留めなかったと思う。

受け入れていてメンタルがやられなかったかも…と思うことも。

だから「気づくこと」って良いことでもあるけど、「怖いこと」でもある。

結局人と比べたり、他人に大変さを指摘されることで「理不尽な状況に置かれていること」を「知ってしまう」ことで、「自分は他の人より大変な状況にあること」を「実感」して、病んでしまうこともあり得る。

気づいてしまったり、知ってしまった時に「自分は大変だったんだ!良かった!」と理解されて助かる面もあるけど、日に日に「大変さを実感して」不満がたまる。
(人から影響を受けやすい人、流されやすい人は注意)

「ホワイト化」「多様性」が広まることで、良いこともあるけど、悪いことや理不尽なことに「敏感」になっているとも言える。

でもこれも結局のところわからない。

なぜかというと、そのダークな状態がずっと続くことで圧迫され、いきなり全てを投げ出す可能性もあるから。

こういうこと考えてると時間が圧倒的にすぎます。ァ,、'`(・ิL・ิ●),、'`'`,、

でも、こうやって自分と向き合ったりする中で、いろんなことが見えてきます。

ちなみにですが私は「社会不安障害」「パニック障害」「対人恐怖症」を患ったことがあるので、何か思い当たる方は次回作も是非読んで見てください。

その話は次回で。


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