努力のプロセス自体が「才能」になりえるということ

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こんにちは。
心理カウンセラーのSayaです(^^)


自分と対話することを習慣にできるようになると、
放っておいても(特に努力しているつもりはなくても)
何かに「夢中になる」ことが増えます。

例えば
-- 花が好きで、花を見たり触ったり、植物の種類や育て方についての知識を得ることが楽しい。
-- 体を動かすことが好きで毎日走っているうちに、フルマラソンを完走できるまでになった。
-- 雑貨屋めぐりが好きで、街歩きするうちに街について詳しくなった。

またはこういったケースもあります。
-- 小さいころから生きづらさを感じていて、大人になってADHDであると診断を受けた。それから本を読むなど、自分の障害について勉強するのが日課となっている。

といったことが挙げられます。

このうち「才能」になり得るのは
夢中になっているうちに成長していて(経験、知恵、知識が増えて)、
どうして成長できたか、それらをどう身につけたかを他人に説明できる状態になっているものです。

これに対して「天才」は、自分がどうやってそれをできるようになったのか、説明できません。なぜなら生まれつきできるから。

例えば、両足に障害がない人が「歩行する方法」を、歩行できない人にわかりやすく説明できるでしょうか。
まず、利き足のかかとを地面につけて、それと同時に反対の足の重心をつま先に・・・とか。。。かなり難しいですよね。

また、「夢中になっている」けれど才能に昇華しない場合もあります。
その多くは、中毒性が高くプラットフォームに乗っているだけの場合。

例えばゲームや漫画、海外ドラマなどは、単なる中毒と夢中を取り違えやすいので注意が必要です。。
余暇として楽しむだけなら良いですが、「才能を育てる」という観点では、筋トレのように多少の負荷は必要ということになります。

才能の定義についての説明が長くなってしまいましたが、、
ポイントとなるのは
「努力して成果のでること(自分にポテンシャルがあること)」と、
「そのことに努力できる才能」というのは全員が持っていて、
「成果が出るようになるまでのプロセス」自体も才能になり得る。

例えば私は若いころ、自分のことが大嫌いでした。

しかし、自分を愛せるようになりたいと願って「自分を知る」ことを突き詰め、研究し、「自己肯定感って、自分への愛着のことなんですよ。」
と人に説明できるようになりました。
これは、幼少期から大人になるまで何の葛藤もなく自己肯定感を持ち続けている人にはできないことです。(天才ですからね)

でも。
自分を愛せる人の世界ナンバーワンなんてものは存在しません。
(というか、比較のしようもありません。)

だから、結果そのものでナンバーワンになれる見込みが薄いからと言って、自分のポテンシャルと「努力できる才能」を、見逃してはいけないということです。

ナンバーワンになれないなら意味がないという方もいらっしゃるかもしれせんが、それは一定数の人に努力を諦めさせる残酷な言葉になりえます。

「努力」と「勝負の世界」は必ずしも相関関係にあるわけではないということです。

努力の結果だけでなく、誰かと比較した成績だけでもなく、自分がどれだけ成長したかというプロセス自体が才能になることもある。

人は成績ではなくストーリーに心動かされるからです。

相変わらず長文になってしまいましたが、一番大事なのは
自分の本当の望みを知って、夢中になろう!
それがあなたにとっての努力の定義になる。
ということです☺️

最後までお読み頂きありがとうございます。
ではまた次回にて(^^)
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