気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その85~

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いつもお読みくださいまして、誠にありがとうございます。
本日も、どうぞ宜しくお願い致します。
昨日の記事の皆様への感謝の気持ち、その成り立ちを詳しくご説明した部分は、本当であれば100回記念に取っておきたいような内容でしたが、そういう風に今を蔑ろにするような行いを避けた自分は偉いと思います。
今感じたことは今伝えておく、これを今後も信条として参りたいと思います。
昨日は他にも、厳しい目を否応無しに向けて来る聴衆の存在に付いても触れました。
これまで世間に浸透しているのは、そのようなプレッシャーに打ち勝つ自分を育てたり、或いは重圧を受け流す工夫などの考えであって、実際にはきっとこれからもずっと、そのような葛藤が自己表現には付いて回ることと思われます。
昨日僕が最後に提案したようなことは、特に観客がお金を払うという事実が厳然としてある以上、かなり非現実的なものであると、残念ながら受け取られてしまうのが落ちです。分かってくださる方はきっと世間でも超少数派の、僕と同じ変わり者の皆さんです(笑)
それでプレッシャーとは、打ち勝つものでも受け流すものでも無く、利用するものです。
まずそもそもの話ですが、スポーツの世界だと体を張って何かに立ち向かう感じが分かり易いですが、芸術の分野は何故か文化系とか呼ばれて、その種類によっては体を使っている事実が最上位に考慮されない面も持ち合わせています、非常に不思議な事に。
体を張るというのは、ある意味命懸けという意味にも繋がっていて、何故生きるのかという問いの答を理屈抜きに感じ取ろうとしていることとも言えます。
スカイダイビングや雪山の登山、他にも冒険的要素が前面に露出したタイプのスポーツ、ボクシングなどの格闘技は、極限状態とも言える強度のプレッシャーを求めてわざわざやっているようにすら感じられます。
そう、ホントに嫌ならやらなきゃいいことを、好き好んでやるのです。
ところが、文化系と呼ばれてしまっている表現には、そのような生き死ににさえ繋がるような面は一切無いかの如く隠されてしまってます。それもその筈、例えば歌で歌詞を間違えたり大事な場面で高音が上手く出なかったりしても、それが直接の原因で命を落とすなんてことはありませんから。死にたい位に恥ずかしい思いをすることはあったにしても、です。
それでも、平凡な日常をほんの少しでも抜け出し刺激を受けて、生きている今を実感したいと望む気持ちは全て同じなんです、本来は。
プレッシャーとは表現者にとって、きっと自身の成長の為に自ら望んで受け取りに行っているものと言えるんじゃ無いでしょうか。
そこを自覚しない限りプレッシャーは、いつまでも執拗に付き纏って来る厄介者、単なる敵にしかなり得ません。
以前にこの感覚を体で味わい実感するワークを二種類ご紹介しています。
肩に上から両手で重みを掛けてもらって、それでも真っ直ぐな姿勢を維持しようとし、実際に維持している自分を認識するもの。
第七頸椎を上から抑え付けてもらいながら、その圧に逆らって背骨が上に向かって伸びる方向性を実感するワーク。
どちらも、ワークでは誰かの手を借りなければ外界からの圧を具体的に感じることは出来ませんでした。
しかし、実際に人が何か事を成そうとした時には、外界から受ける様々な精神的重圧と、そして、自分自身が自分に与えてしまう期待という名の重圧と、それらが絡み合いないまぜになったものが、よりリアルにその両肩にのし掛かって来る筈です。
それを、打ち勝とうとしたりいなしたりするのでは無く、利用するということです。
人は、自重のみを効率よく支えている時、それが最も普通、良くも悪くもフツーの時です。
それでも人は、何処かに成長を望むという方向性を抱えながら生きているのでしょう、今がその時と見るや、自重以上の何かを背負い込む決断をします。
そう、プロであろうがアマチュアであろうが、表現の場に立つと決めた瞬間、その人はフツーから脱する決意をしているのです。その気持ちの成り立ち、プロセスをしっかりと自覚するところから、プレッシャーとの本来的な付き合い方は始まります。
ここで、久し振りの登場ですが、骨盤や足裏といった自分の心身両面の底の底に、こんなにも逞しい力感と勇気が備わっている事実に気付くことが叶います。
本気を、潜在能力を、発揮させてくれる他には無い貴重なアイテム、それが、プレッシャーなんです。
今のスポーツ界で無観客試合を戦っている選手達をご覧になって、羨ましいとは思わないでしょう?
ホント久し振りに、今一度でも二度でも何度でも、ご自身の骨盤底や足の裏に気付きを得て、もし今直面してる重圧があるなら両肩や背骨を通じて敢えてしっかりと背負い込んでみてください。
自分の内側に、もう一人の知らない自分が居たと思う位の感動を味わわせてくれるかも知れません。
プレッシャーとは、決して忌み嫌うものでは無く、推進力として利用するもの、実は自分の魂といった奥深い処からの望みなんです。
本日もここまでお読みくださり誠にありがとうございました。
明日もまた、どうぞ宜しくお願い致します。

つづく



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