気楽に読んでください、呼吸のおはなし ~その50~

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いつもありがとうございます。
直ぐに昨日の続きに入ります。
書こうとしていることは複雑になります。もしもそれを体験・体現出来てしまったならば、その世界は非常にシンプル極まりないものであるのは間違いありませんが、書くと複雑になります、ご了承ください。
維持していた姿勢を放棄すること。
再び呼吸からの視点に戻すと、抱え込んでいた自分を満たして余りある、それ程に成長したエネルギーを、漏らさず囲い込んで占有することを諦める、となるでしょうか。
そこに思いが及んだ時に、骨盤を緩めるという体からの発想に出会う、ということになります。
それが、とにかく先ずは自分の心身が健康であることを目的としていた営みである呼吸が、その目的が達成されて初めて、その達成された結果としての健康な心身でもって今度は自分の周囲へ働き掛ける契機ともなる記念すべき瞬間となるのです。
これは、アウトプットという概念と呼吸と心身の関係に付いて、非常に簡潔にモデル化して語っていますから、実際の一つ一つの場面に於いて、これほど見事に事が運ぶことは稀だとは思います。
骨盤の力を抜くことは、現在の状況に固執する傾向がある場合は非常に難しい発想と言えます。
人間とは常に、安定して安全な状態で居たいからです。
しかも、仙骨という上半身と下半身を繋ぐ唯一の楔のような骨の力を抜くことは、非常に勇気のいることです。
しかし、ちょっと大袈裟に言いますと、一種のイニシエーションのような仙骨の脱力を遂行すると、その瞬間までとは全く別の力が目覚め、その新しい力が姿勢維持を代わりに担当する結果となるのです。
これは、電車で吊革に掴まりながら居眠りしている人が、脱力して倒れそうになる度にすくっと立ち直る光景で理解可能です。
人間は本当に気を失わない限り、脱力して倒れることは殆ど不可能です。
皆さんがもし役者さんだったとして、恐らく究極難しい演技は、気を失って倒れる演技だと思います。
数キログラムもある頭部が強かに地面に打ち付けられるのを分かっていながら、わざと完全に脱力して倒れることはきっと無理です。
詰まり、脱力する、仙骨という姿勢維持の要の骨を緩めることとは、結果として本能としての立つという行いを改めて呼び覚ますこと、となります。
これは、「ヤスメ、キヲツケ」などで養える種類のことでは無いですし、重りで負荷をかけた筋トレで養う類のものともやっぱり違っています。
本気で掘った何メートルもあるような深い落とし穴に突然落とされたなら、体のどの部分から着地するかも予測出来ませんが、例えば数十センチ位の落とし穴に、地面がパッと開いて落ちたとしたら、そのまま足の裏で着地して、普通に立っていられると思いますが、でも、その時に立っているのはあなたの意思では無いことがご理解頂けるでしょうか。
自意識の操作では全く間に合わないスピードで体は本能的に反応・適応してそこに立っている筈です。そして、一瞬とか一時とか、暫し遅れて自意識は追い付いて、状況を把握し始めます。
姿勢の維持を一旦放棄することの意味は、上手く伝わっているでしょうか。
こんな風に脱力する時、下半身と背中側への緩みも連携して促され、横隔膜も自然と下方向へ降りて、楽に多量の空気を体に取り入れることが出来ています。出来る、と言うよりは、気が付いた時にはもう既に出来ています。
そしてそのように取り入れた空気が体中を循環して排出される時には、先程確かめた、自意識よりももっと深い本能が姿勢を再構築するエネルギーと共に外界へと出て行くのです。
もし、この時に、声帯という極めて小さな部分にほんの繊細な閉じる作用が加わったなら、それが声となって外の世界へと解き放たれるのです。
そうです、体を姿勢を再構築する、ポジティブでクリエイティブなエネルギーが、声をバックアップ、支えてくれることになるのです。

つづく
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