【理屈】が無粋になるとき

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コラム

大通りでの、できごと


大通りの信号待ちの車の中、運転席の夫が、突然叫びました。
「あ、あれ、ウィリーだ!」

そして、いそいそと財布を探り始めます。

前も横も車だらけで、視界の中に、それらしき人の姿は見えません。
前の車が、知り合いの車なのかな?と思いましたが、そうではないようです。

私「誰?ウィリーって」
夫「友達だよ」

そして、おもむろに窓を全開し、また叫びました。
「おーい!ウィリー!」

とその時、信号待ちする車の合間を通って、物乞いの男性が近づいてきました。片手と片足がなく、もう一つの腕には松葉杖。

彼がウィリーだったのです。

ウィリー氏、登場


夫の叫びに気づくと、満面の笑顔でこちらに向かってきます。

その時、信号が青に
横の車に轢かれそうになりながら、夫のすく横まで来たウィリー

ウィリー「マルセーロ!久しぶりだな、おい!良い日を過ごせよな!」
夫「お前もな!良い日を!」

そして夫は、少しとはいえないけど高価でもない額のお札を何枚か、ウィリーの肩掛けカバンに入れ、いそいで車を発進させました。

ウィリーは手を上げて夫に挨拶すると、またしても轢かれそうになりながら、車の中に消えていきます。

理屈 vs 感情


夫「時々ここで信号待ちになった時、ウィリーと話すのさ」
夫は楽しそうに話しました。

それを横で見ていた私

物乞いの人にお金やモノをあげても、本質的解決にはなりません。
そして、うちは決して裕福でもないし、このコロナ渦中でいちいちそんな額を物乞いの人にあげていたら、破産します。
そして、夫の名前は、マルセーロではない。

でも、それが何だっていうんだろう。

理屈がいくつも浮かんできましたが、それらがことごとく無粋に聞こえます。
合理的・効率的観点から言えば、これは、社会問題を大いに含む場面だったはずです。ある人から見れば、夫の行為は偽善にさえなりえます。

では、あの笑顔と、心底嬉しそうな二人の顔と、なぜか癒されてしまった私の感情は、ムダなのでしょうか?


理屈は大事。でも、それだけでは不完全


人間は、理屈では説明できないことを生み出す天才です。
そして、それが、思いもよらないプラスのエネルギーになることがあります。

私は、そのエネルギーが人を救うのを何度も見てきました。

今日も世界中のどこかで、そういう謎で不可解で、上手く説明できないけれど、でも確実に何かをプラスにする出来事が生まれるのでしょう。

理屈が無粋に聞こえる時

効果・効率はもちろん大事ですが、【人間として生きていいんだ】と優しく諭されるようで、少しだけ心が、ホッとします。


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