やなぎ 離婚成立物語 別れ決断編

記事
コラム

みなさん初めまして!こんにちは!

やなぎと申します!


僕は現在36歳になりますが30歳~35歳を過ぎるまでの5年半、離婚が認められず長い別居生活を余儀なくされていました。


この経験から世の中には僕と同じように離婚をしたくても、法律的に認めてもらえず苦しんでいたり、離婚や別居にたいして希望が持てずにいる方も多いのではないかと考え、ココナラで出品サービスを開始しました。



今回の記事は、やなぎの別居に至るまでの経緯であり筆を進めている今でも鮮明に記憶に残っている内容となります。


僕の経験談が悩んでいる方のお力になれれば幸いです(^^)



それではよろしくお願いします(._.)




たった一度きりの人生を大切にしたかった



あなたは心になにかモヤモヤしている感情はありませんか?


ずっとなにかを我慢して生きていませんか?


そのモヤモヤ(心からの信号)をしっかり聴いてあげないと僕のように大変なめに会うかもしれないですよ( `ー´)ノ 笑



というのも…僕が元嫁と離婚しようと決断した背景には、自分の感情と向き合ったことが大きいからです。


一生このままの生活でいいのか…


これに対する答えが離婚をすることでした。



自分本位な理由で離婚を選択し、元嫁に対して迷惑をかけてしまったことはとても反省はしています。


けれども後悔はしていません。



不自由はなかったが満たされないものがあった



結婚後の生活が経済的に苦しい、もしくはやなぎがDVを働いていたという決定的な離婚理由は特にありませんでした。


ただ…結婚生活をしていて満たされないものがありました。



その前兆は結婚前からあり見ないように蓋をしていたものでした。



僕と元嫁は大学生の頃に知り合い交際を始め、婚姻期間を含めると別居するまで約10年一緒にいました。


これだけの長い間一緒にいながらほとんど喧嘩はありませんでした。




けれど、僕は元嫁が若い頃と比べて体型が変わってしまい女性として見ることができなくなっていることに悩みを抱えていたのですが、そのことを上手く伝えることができませんでした。



そんな中、元嫁から僕が膣内射精障害であるといわれ、どうにか治したいと考えましたが解決の糸口が分からず、自分が男としてどこか異常ではないかと考えることもありました。


満足にしてあげられないことへ申し訳なさ感じていましたし、射精障害であるということがプレッシャーでよけいに上手くいかないことも多かったです。


僕自身の恋愛経験が少なく男女の性的な話題に苦手意識もあったため、交際してから1度も最後までできたことがありませんでした。



そのことをうやむやにしたまま関係を続けていき、気付いた頃には20代後半になっていました。


親からは結婚はまだなのかと毎晩いわれるようになり、元嫁からもこの日までには結婚をどうするのか決めて欲しいと期日を決められ結婚の選択をしました。




ちなみに、父はかなりせっかちな性格で元嫁へ結婚の返事をする前から既に結婚前提の自宅リフォーム工事が開始されていました( ゚Д゚)!! 笑




こうして離婚理由の大きな不安要素を抱えたまま…結婚生活へと足を踏み入れてしまったのでした…



結婚後に増えた精神的負担



僕の実家は自営業をしていたので、元嫁とは同じ職場で働くようになりました。


お互い勤務時間は長かったこともありますが、一緒に働き始めると次第に元嫁は原因不明の体調不良に見舞われることが増えていきました。


それはどのタイミングで訪れるものか分からず、病院に行っても原因は分かりませんでした。


ただ、休みの日にそのような体調不良になることはなかったので、メンタル的なものだったのかと思います。



朝方に突然、体調が悪いから休みたいという要望があれば僕が変わって出勤していました。


そのこと自体はそこまで負担ではなかったのですが、どちらかといえばそれに対して他の従業員からあがってくる不平不満への対処が辛かったです。


なんで今日も休みなのか?
休み過ぎではないのか?
そんなことでやっていけるのか?



管理職として働いていた僕の下へ不満は募っていきました。

そのようなことを毎回言われ続けて平然としていられるほどの強い心は持ち合わせていませんでした。



…じわじわと心をすり減らしていきました。



そして結婚後に夜の夫婦の時間も増え、セックスレスの不安は益々大きくなり、入籍から1年以上も子どもができないとなれば元嫁の焦りも強くなっていきます。



「今日は疲れているから」そういってその場を逃れる日々…




ただただ、仕事から家に帰って夜の時間になるのが憂鬱でした。


「頼むから疲れて先に寝て欲しい」そう思って、わざと寝る前にゲームをして時間を潰し元嫁が寝るのを待つこともよくありました。


元嫁も当然、辛い日々だったと思います。



周りはどんどん結婚して出産を迎えているのに…
僕たち夫婦はまともに何もできていないのですから…


別居が始まる前は人工授精にも取り掛かりました。


もともと僕は子どもは好きでしたし、子どもが欲しい気持ちもありました。


けれど根本的な部分が変わらない以上、人工授精というものを表面的にやっていても上手くいくわけもなく…



こうした生活を続けている中、僕の心に大きな変化が訪れました。



変わり始めた心



同じ職場で働いていた自分よりも一回りも歳下の女性に対して好意を抱いてしまいました。



最初からその女性に対してそのような感情を抱いていたわけではなく、あくまでも仕事として関わりを持っていただけでした。


その女性に対して恋愛感情が芽生えるようになったのは、ずっと僕が抱えてきた生きずらさについて相談したことからでした。



歳下の女性に自分の弱いところを見せることには抵抗もありました。


けれど「この人なら話を聴いてくれるかもしれない」そう思い相談しました。




彼女がとても親身になって話を聴いてくれ、とても心が軽くなりました。


そこからその女性に対して恋愛感情を抱くまでに、そう時間は掛かりませんでしたし、同時に元嫁に対して罪悪感を抱くようにもなりました。


元嫁と交際してからというもの、他の女性に対しそのような感情を抱いたことはなかったですし、この気持ちをどうすればいいのか分かりませんでした。



元嫁への気持ちは冷める一方、上手くいくことのない人工授精、精神的に余裕のない仕事…



「もうこんな生活やめたい」


「このままの人生を続けていいのか」



そんなことばかりを考えるようになっていきました。




長い夜




あの日のことはよく覚えています。



夫婦の夜の時間に僕が元嫁を拒んだことが始まりでした。


これまでも誘いをはぐらかすことはありましたが、ハッキリと拒んだことはなありませんでした。


元妻も普段とは違う雰囲気に違和感を覚え「好きな人ができたの?」そう質問をしてきました。


それに対し「うん」とだけ応えました。


それが誰のことかは直ぐに元嫁は気がつきました。


元嫁は泣き崩れました。


もうここまでだな。
そう感じた僕は

「別れて欲しい。今までありがとう。」


と告げたのですが同意する返事は貰うことはできませんでした。


そのままお互い一睡をすることもなく朝を迎えました。


元嫁は実家へ向かい、そこから別居生活が始まることになりました。



僕はその日からも変わらず仕事へと向かい、従業員には元嫁は体調不良のためしばらくの間休むとだけ伝えました。


働いてはいましたが、正直生きているのか死んでいるのか分からない感覚でした。


元嫁が家を出た後に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。



離婚について何の知識もなかった僕はこうして別居というものを実に5年半以上も続けていくことになります(._.)


まとめ



「別れ決断編」いかがだったでしょうか?


誤解していただきたくないのは、僕は離婚することをオススメしているわけではないとうことです。


ここからも苦しい生活は続いていくのですが、離婚をすると決めた選択になに1つ後悔はしていません。



それはやはり冒頭でも述べたように自分の気持ちと向き合い大切にしようとした結果だからです。



あなたがたった一度きりの人生を大切にしようとした選択なのであれば、その決断に胸を張って生きてください。



それがたとえ復縁や離婚どちらにしてでもです。



それでは本日はこの辺で失礼いたします。
最後まで読んで頂きありがとうございました!


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す