「それは本当にあなたの知見ですか」

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◆「 剽窃 」

剽窃(ひょうせつ)……他人の産んだ言説を、自分の言葉かのように発表してしまうこと。

 人は誰しも、誰かの言説に影響を受けて言葉を育てます。
 しかし「 剽窃 」となると、それは言葉の泥棒です。
 行えば信用を失ってしまいます。

 プロ・アマ問わず表現者に寄り添って考える私たち「第一読舎」。
 ブログのひとつめは、仕入れた言葉の扱い方、振り返ってみませんか、というコラムです。


◆「悪いこととは思っていない? 友人の事例1」

 ある友人に教材として登場してもらいます。
 彼は色々なものに詳しく、世間で話題になっている大抵の事柄は押さえていました。
 周囲からの評価は、フットワークが軽く経験豊富で勉強熱心というもの。

 しかし仲間内でパソコンゲームの話をしていた、ある日のこと。
 彼の言動に違和感がありました。
 まるでその業界にいて、色々と見てきたかのような喋り口なのです。私が知る限りの彼は全く違う業界にいて、専門的な友人がいるという話も特に聞いたことはありません。
 「なんでも詳しくてすごいなぁ」と思っていた彼への「なんでそんなことがキミにわかるの?」という疑いが芽生えた瞬間です。
 違和感を片手に持ったまま、何の気なしにwikipediaを検索すると……彼の言い回しが記事のそのままであるのを見つけたのです。
 百歩譲って “内容が同じ” なだけなら「ああ、ウィキで概要を調べたのかな?」で終わりです。
 でも問題は “言い回しが同じ” なこと。
あらゆるデータや知識の「まとめ」が書いてあるウィキペディアは、市販の辞書とは違って「誰かの解釈・感想」も混ざります。
 誰かの知見に基づいてまとめられたものなのです。
 それをあたかも、自分が調べて経験してまとめ上げたように語るのは、いかがなものでしょうか。

 一度気になると、日々 出てくる 出てくる。
 またある日は彼が世間話としてグループチャットにニュース記事のURLを送ってきました。
「この記事の○○な部分が気になってね、今の日本って○○だから、○○って考えることも出来ると思うんだ。どうせなら〇〇すればいいと思うのにね」
 ……と意見をセットで述べています。その意見は「なるほど確かに」と感心させられる主張で、意見交換をして終わったのですが……。後に彼のツイッターが目に入りました。
まったく同じフレーズのコメントが添えられた大人気ツイートに、彼が「いいね」をしていたのです。
 彼の発言は “ 元ネタ ” があるどころかフレーズまで同じの丸コピでした
 それは彼の言葉でしょうか。私は誰と意見交換をしていたのでしょうか。


 ◆「ひとことで済むこと」

 いい言葉に出会うと、なにか得意な気持ちになるのも、分かります。
 私も中高生の時分には、両親やアルバイト先の大人に言われたフレーズを気に入って、イントネーションごと真似ては同級生相手に背伸びをした経験があります。大人と同じ立場になれる気がして、それが大人の疑似体験だったのですね。
 ただ、自分が産んだ言葉でないことは、ちゃんと認識していました。
 しめしめ、いい言葉・いい考え方を仕入れたぞ、と思っても。
 他人に使って感心されたら、「まあ受け売りだけどね(笑)」
 などとひとこと付け加えたほうが良いでしょう。


◆「どうやら無意識。友人の事例2」

 私が大学生のころ、ある友人宅で飲んでいたときのこと。
 世間はテレビの大画面化が当たり前になりつつあり、部屋に大きなテレビが欲しいな~という話題で盛り上がっていました。

 そこで私は……
「いやあ……。大画面テレビよりホームシアターもいいぞ。家庭用のものも今は本当に安いからね。○万円台でこんなものが買えるんだよ」
 ……という話をしました。もう一度言いますけど私がしました。
 友人からは「なるほどホームシアターか~!」と感心され、得意になった一幕です。

それからさっそく翌日、大学でのこと。
 なんの話の流れであったか、昨夜と同じテレビ画面の話題になると。
 その友人が近くにいた後輩らに向かって、私が言ったことと全く同じセリフを放ちました。ご丁寧に言葉の溜め方、イントネーションまで私に似ています。
 これは一本取られた、冷やかされたのだと思い、「なんだよ~、昨日僕が言ったことそのままじゃないか」とツッコミを入れるも、彼は頭のうえに「?」が浮かんでいる様子。なんと彼は本当に無意識で言っていたようなのです。

 たしかに話の内容は誰の口から飛び出てもおかしくない、ごく普通のものです。
 でも変ですよね?
 大画面テレビとホームシアターを天秤にかけ、数十万円した以前よりも安くなったと言えるほど市場を追いかけ、○万円代で良いものが買えるぞ、といえるのは私の知見であり、彼にはその歴史がないので言えるはずがないのです。

 彼が後輩諸氏に言うべきだったのは
「昨日こいつ(私)と飲んでいて聞いたんだけど、大きい画面が欲しいならホームシアターも狙い目でさ。今は昔に比べて安いんだってさ」と出元は自分でないことを一言くわえた形のはずです。


◆「 私の言いたい “ 剽窃 ” とは 」

 一般にいう「剽窃」とは、出典を明かさずに他人の言説を盗んで発表する行為を指します。それは意識的なものが殆ど、他人の産んだいい言葉を自分のものにしてしまえ!という魔が差した結果です。
 しかし私が問題としてあげたい剽窃は、意識的な行為というより、入ってきた情報を無意識に扱う姿勢です。

悪いと思っていないのも、無意識に扱うのも、よくないことです。



◆「 無意識な剽窃対策 」

自分で無意識にやっちゃってたら怖いなぁ!
ということで、以下の癖をつけるしかありません。
文字を読むとき・話を聞くときは、意識すればいいのです。
○入ってきた情報を頭の中で「反復する」。
○「情報の発信元」を意識する。
 私の経験上、無意識な剽窃をしてしまうのは「文章を読むのが速い人」「話半分な人」が多いです。
 単に文章を読み終えるのが『早い』のならいいのですが、『速い』場合は、情報を意識せずに頭に入れている可能性があります。
 おおよそこういう文章だろうと目星をつけたら、ほとんど読み飛ばすような癖がついていると、誰がどういう立場から書いている言葉なのかが抜け落ちてしまいます。それでも言葉だけは覚えているので自分の知見として無意識に剽窃をしてしまうのだと思います。
 一定量を読んだら「書いたのはこういう人で」「こういうことを言いたい段落なのだな」と一瞬でも立ち止まって考えるのがいいでしょう。
 それは人の話を聞くときも同じです。会話も区切りやパートごとに頭の中で少し反復して、誰が何を言っていたのか、意識するといいです。
 たとえ発信元がテレビでもラジオでもまた同様。
「発信源を意識して」「話を反復」すると無意識な剽窃は防げます。

 まさか、誰もが使う一般的なあいさつや、流行りのフレーズすらも盗っちゃダメ!……とまでは言いません。それでは誰も何も喋れなくなります(笑)
 しかし「その人の知見で組まれた言葉」はその人からしか出て来ません。
あなたの言葉ではないのです。そのままコピーして使っても、知見は得られませんし、なにより言葉泥棒は発信者の立場を奪い、傷つけてしまいます。

 冒頭で述べたように、ヒトは常に誰かの影響を受けていますので非常に難しいことは分かっています。それでももし、どこかで聞いた言葉がポロッと出てしまったら。
 やはり「受け売りだけどね」などと一言を付け加えるべきです。


◆「意識を持ち続け・自分に問いかけ続ける」

 ここまで、プロ・アマ問わず表現者の皆さんに響くものはあったでしょうか。創作者たちの間でよく云われる呪文に「アイディアには著作権がない」というものがあります。ちょっとした考え方やフレーズをパクるのは問題にはなりません。
 でも、自分が考えたかのように言ってしまうのは有体に「嘘」ですし、行為としては泥棒と同じ。さらにそれが無意識ならばきっと、自分の作品を書いた時に「剽窃だ!」と騒がれることをしてしまう日が必ず来るでしょう。

 自分に影響を与えたコト・モノ・ヒトをルーツにして発信するのが表現です。誰もが言える言葉でも、本人にしかできません。
 借りてきた言葉を使うなら、借りてきたと付け加えるべきなのです。
 情報を頭に入れるときは意識して、発信するときは自分に問いかけ続けましょう。
「それは本当に自分の知見なのか」
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