読者はスイカのてっぺんだけ食べたい

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 小説の書き方を調べていると
「一番いいシーンから始めろ」
「大筋はシンプルに」
 といった説を見かけることがあると思います。

「いいシーンって言ったって、まずはこの素晴らしい世界観を理解してもらわないと、このあとの話もわからなくなっちゃう!」
「シンプルって、単純でありがちってことにならない? もっと作り込んだもの見せたほうが目の肥えた読者は喜ばない?」
 って心配になっちゃう方も多いかと。
 私も頭ではその理論をわかったつもりで、ついつい無駄な要素を書きすぎてしまうことが、ままあります。

 そんなとき、私は表題の言葉を自分に言い聞かせます。

『読者はスイカのてっぺんだけ食べたい』

 あの私スイカが大好きなんですよ。(突然の告白)
 どのくらい好きかというと、新種のスイカが2千円(一個じゃなくてお皿にちまっと乗ったやつ)で食べられると聞いて、わざわざフルーツパーラーに出向くくらいは好きですし、
 真夏は三食スイカでもいいと思ってるし、実際それやったのを忘れてて次の日の朝トイレが赤くなって「ぎゃー! 血便!!!!」って青ざめる程度の好きです。

 あほだ。

 あほなのでスイカの白いところだけの料理のお店があったら、まあ一回は行くと思うし、皮の有効活用があったら知りたいと思うし、なんならスイカ農家さんがどうやって種から作っているか見学させてくれるつったら、「わー行く行く!!」って のこのこ出かけて行くと思う。
 でもですよ。

 普通の人はそこまで求めてないでしょう。

 いや、当たり前。当たり前なんです。普通にいう「スイカ好き」って「夏になってお母さんが買ってきて切ってくれたら食べる」って程度の好きなんですよ。そうじゃないですか?

 涼しい、片付いた部屋で、人が綺麗に切ってくれたスイカが食べたい。

 種もとってくれてたらなおいい。

 しかもそれが三角のてっぺんの、一番甘いところばっかりだったらもっともっといい……!!!

 自分の作品を愛して作り込むのは大前提。だけど求めてない人にまで「これはね、種の選別から苦労してね、苗の段階ではこういう肥料をあげてね、……」ってマニアックな話をし始めたら、それもう「迷惑」じゃないですか。

 読者がついてこられないといけないからと、最初に説明だけをだーっと書いちゃうのは、この「種から苗から全部見せたい」行為。

 私はスイカがだーいすきなので、まあ、聞くけども。そして設定厨の人も、まあ読んでくれるだろうけども……でも遠いでしょ。あまりにも。スイカの三角のてっぺんから。


 よぶんなものは全部そぎ落として、スイカの一番甘いところを食べてもらう。
 それが「面白い」と言ってもらえる最初の一歩じゃないでしょうか。


  いやわかります。わかりますよ。種からめちゃくちゃ苦労してるからね、全部見て欲しいよね。
 でもそんなスイカ農家さんおらんよね。

 どうしても見せたかったら、見せたいでもいいんです。
 ただ、それならそれでどう工夫したら見て貰えるものになるか? ということを考える。

 どうしてもと言うなら、実際のスイカを食べながらだったら聞いてくれるかもしれない。

 キャラを動かし展開させながらの説明だったら、読者が少しは読みやすいかもしれないように。

 動きのあるシーンから始めて、セリフで自然に説明するとか。
 キャラクターをうんと魅力的にして、ちょっと設定説明をしても読者が飽きないように頑張るとか。
 この要素本当の本当に必要か? とぎりぎりまでよーく考えるとか。

「自分の書きたいことをただ順番に全部書いてるだけ」
「説明多過ぎ」
「だらだらしてる」
「冒頭がだるい」
 などと言われたときは、一瞬ムカッとしていい(笑)。

 ムカッとしてもいいので、そのあと

「でもまあ俺も綺麗な涼しい部屋でスイカのてっぺんのとこだけ出されたら、嬉しいよなあ……」

 って、思い出して、頑張っていらない皮や種を削りましょう。

  ――ちなみに二千円のカットスイカは、

「普通だな……」

 っていう味でした(ぎゃふん)。

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