占いを超えた究極のお話(№750)

記事
占い
姓名判断において、
凶の名前の人が
絶対的に駄目というわけではありません。

凶の名前の人は、
吉の名前の人に比べ、
才能が発揮しづらいという事です。
(とても重要な違いだと思いますが)

凶の名前の人は、
世の中レベルで活躍しない、
とも言えません。

凶の名前の人でも、
世の中レベルで活躍している人は、
いるでしょう。
(バランスを欠き、何かを犠牲にしていますが)

名前に絶対的な価値基準はありません。

仮に、姓名判断をマスターした人が、
頼んでもいないのに、
勝手に他人の名前を姓名判断し、
「凶名だから名前を変えた方が良い」
などと、相手に対して言うのは、
人として、失礼千万以外の何ものでもありません。

ましてや、「救ってやろうとしているのだ」
などと、こんな屁理屈を言うようでは、
その人の方こそ、救いようがありません。

本人の人生なのですから、
当然ながら、本人が自分の人生を決める権利があるわけです。

人生に開運を望むのも、
劫晴らしで華々しく散るのも
本人の自由です。

いずれにしても、
本人の意志が尊重されない人生こそが、
絶対的に駄目なわけです。

そもそも占いは絶対的なモノではありません。

より良く生きる為の手段でしかありません。

占いに全く関心無い事は、
それはそれで結構です。

占いを知らなければ幸せになれないなど、
絶対にありませんし、
そんな事を言う人がいたら、
傲慢の極地であり、
狸でも憑いているのでしょう。

ただ、占いに全く関心の無い人、
占いを否定する人は、
私の占い活動において、
私との縁がないだけです。

しかし、私も1日24時間、1年365日。

占いだけをやっているわけではありません。

占い活動では無い時は、
占い否定派の人もWELCOMEです。

例えば、私が道を歩いていたとしましょう。

道端に人が倒れていました。
その倒れている人に、
先ずは、占いに関心があるか否かを聞き、
占いに関心がある場合は、縁を感じ助け、
占いに関心が無い場合は、縁が無いと判断し、立ち去る。

こんな事はしません。

占いの縁は、
占い活動においてのみです。

それ以外は、関係ありません。

占いは、絶対的なモノではありません。

4次元(占いを含む)は絶対的なモノではありません。


ではここで究極のお話をしましょう。

人間とは何か。

人間とは神の入れ物。

広い意味の神、広い意味の信仰で、
神の存在を肯定すれば神の入れ物になり得ます。

人間が人間である定義です。

だから、例えば、
人に優しく、人を愛し、
社会貢献に尽くす
立派な人がいたとしましょう。

しかし、その立派な人は、
神の存在を否定する人だったとしましょう。

厳密に言えば、
その人は残念ながら
人間では無い事になります。

その人は人間では無いので、
正確にその人の事を表現するならば、
人に優しく、人を愛し、
社会貢献に尽くす
立派な得体の知れない何がしかの生物。
という事になります。

人間として絶対的なのは、
神を肯定し続ける事により、
神の入れ物であり続け、
人間としてあり続ける事です。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す