母が私のことを愛してくれなかった、という恨みをかなりしつこく持っていました。
少しずつ手放してきて、少し前にまた大きな気づきがあったので、その事を書いてみます。
親は子どもの面倒をみるのが義務だ。
愛情をかけるのも当然だ。
動物だってやっている!
ママは弟ばかりかまって、幼い私の気持ちに気づいてくれなかった!
こんな考えが浮かんできて母は充分やってくれた、と頭でわかっていても、
完全には許せませんでした。
ある時、ふと閃きました。
単に私が、基準を変えればいいのかな?
育児放棄する人はたくさんいる。
そちらに焦点を合わせれば、育児は当然じゃない。
育児はオプションと言えるかも!
オプションで私を育ててくれたとすれば、そのやり方は母の自由だ。
私は文句を言えない。
母はやりたくて、わざわざ私の面倒をみてくれたんだ!
私が生まれてきたことで、義務だからと私が育児を母に押しつけた訳ではなかった!
なんだかせいせいする!
すべてが強制ではなく、任意で好みである、と考えるとラクだ!
政治家なら国民のことを第一に考えるべきだ。
社員なら給料分働くべきだ。
教師なら理想を高く持つべきだ。
医者は金のために働くべきではない。
そう信じていると、自分を縛ってしまうし、好き勝手な人を見るとすごく腹が立ってしんどい。
だからなによりも自分のために、こういう義務をすべて空の彼方に放り投げてしまおう!
じゃあ、そのうえで私はどうしたいのか?考えるのです。。
自由とは、この感覚のことなんだ。
常識から一歩離れて、自分で決めることなんだ。
お金持ちになって好きな場所に好きな時に行くことじゃないんだ。
お金持ちになっても、「リッチな女性とは、いつもきれいな服を着て高級スーパーで買い物している、ラーメンは食べないしジャージも着ない」とかあれこれ決めてたら、めちゃ不自由です。
私はこの気づきを得てから、具体的には説明できないですが、変わったなと思います。より楽チンになりました。
レジに横入りするなよ、とか見張らなくなって、横入りする人がいなくなったような気がします。
実際にいても気にならなくなってスルーしたら、私の前からはいなくなったことと同じなんです。
もちろん、ムカつく時はムカつくことにオッケーします。
聖人になる必要はゼロパーセントです!