「一番小さいものにしたことは、すなわちわたしにしたことである」
今日、夢で久しぶりにキリストからメッセージがありました。
これはたしか子供のころに読んでいた聖書の一説にあったような記憶がうっすらあります。(違ったかな?)
「小さいもの」という定義は人それぞれですが、わたしがこの時考えていたのは家族のことです。
家族という存在は何かをして当たりまえ、何かをしてもらって当たり前、という存在。だから意識しないと、ぞんざいに扱いやすくなります。
例えば他の人には許せることも家族がすると許せなかったり、いつもしていること「家事」「宿題」などやってないときに頭ごなしに怒ったり。。。
話をちゃんと向き合ってせずに適当に流したり。。。
思い返せば本当に向き合って大切にしていないということがたくさん出てきます。
本来は家族っていてくれるだけでありがたい存在であるはず。
家族ができたときに、自分でそう思っていたはず。
その当たり前にいてくれることを軽視していたな、ということで「ちいさきもの=家族」という想いが出てきました。
そして、「わたし」というのは「キリスト」のことですが、キリスト意識というのは自分の中(第6チャクラ)にあるものしてヨギ(ヨガの実践者)の中では解釈されています。
つまり今回のメッセージをわたしなりに要約すると
「自分以外の人や動物、自然、物にしたことはすべて、自分自身にしたことと同じである」
ということです。
「自分を大事にすることも、自分以外を大事にすることも、実は同じなのだ。
だってこの世界はわたしがすべて創り上げているものだから」
ということに気づいた夢のメッセージでした。