【誰かを理解することはできるのか?】

記事
コラム
 ある方から、「理解者が居ない」という
 LINEを受け取り、私は返事に窮した。
 そもそも、スマホをマナーモードにした
 まま勉学に没頭していたために、着信に
 気づくのが遅れた、という後ろめたさも
 あったが、相手が予てより存じ寄りの方
 だったため、一般的な傾聴技術の使用に
 躊躇いを感じてしまったのが大きかった。
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 通常、このようなケースでは、「理解者
 が居ない、とお考えなのですね。つらい
 お気持ちもおありかと思います。先ずは、
 あなたにとってどんな状態が『理解者が
 いる』ということなのか、あなた自身が
 どうありたいのかをお聞かせいただいた
 上で、そこへ向かっていくために一緒に
 考えていきたいと思います」となろうが、
 この方とはある程度の信頼関係が築けて
 いる状態なので、逆転移に陥らないよう
 注意しながらもう少し踏み込んだ親身さ
 が必要ではないだろうか、と感じたのだ。
 その考え方は、「あなたの話を聴きたい」
 「あなたを理解したい」という精神だし、
 所謂カウンセリング・マインドに通じる。
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 「理解」が、道理や筋道・意味・内容を
 正しく分かったり他人の気持ちや立場を
 察することだとすれば、自分にとっての
 「理解者」は、自分に対してそれをして
 くれる人、ということになる。「理解者
 が居ない」とは、自分にはそんな相手が
 いない、ということなのだろうが、何を
 もってそういう考えに至るのか、どんな
 状態が「理解者がいる」ということかは、
 人によって違うものだと私は思っている。
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 人にとって、理解されない・存在を無視
 される、ということは、個人差はあるに
 せよ相当なダメージである。「理解者が
 居ない」というLINEを私に送信する
 に至った経緯は、ご本人に話を聞かねば
 分からないが、その辛さを現在進行形で
 私自身も味わっているだけに、できれば、
 共感を交えつつ共に考えたいとは思って
 いるが、今はご本人にその気がないよう
 なので、その時が来るまで待つしかない。
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 私は、これまで、以前の職場で歓迎会が
 自分だけ開催されなかったことに対する
 怒りをここで何度も伝えてきた。たかが
 酒宴の一つ、何をそうムキになるのかと
 思われる人もいるだろうが、私は、何も
 酒宴の有無だけを問題にしているのでは
 ない。私の歓迎会だけが未開催、という
 ことは、私という人物の人となりを知り、
 コミュニケーションを図る、という姿勢
 を周囲の者達が持とうとしなかったこと、
 要するに、私にとって、私という人物を
 理解する一つの絶好の機会を放棄したと
 いうことになり、それを私は怒っている。
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 さて、他人の気持ちや立場を察すること、
 それが「理解」ということだが、私から
 言わせれば、そんなことは誰にもできは
 しない。極論を言えば、本人のことなど
 本人以外に分かる筈がない。本人にすら
 正確には分かっていないかも知れないと
 言うのにどうして他人に見抜けるだろう。
 そういう意味では誰にも「理解者」など
 はいないかも知れない、と私は思うのだ。
 唯一人いるとすれば、当然ながらそれは
 自分自身だろう。「自分が理解しなくて
 誰が自分を理解するのか」という思いで
 積極的に自分を認めることによって私の
 自己肯定感は何とか維持されているのだ。
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 御閲覧、心より感謝申し上げます。
カウンセリング・マインド2.jpg

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