片思いをしていた高校生の私へ その1

記事
小説
学生時代。それはそれは時間のあり余った時であった。
大学時代は、一人下宿先に戻ると、恋にまつわる感慨をひたすらノートに書き続けることがあった。それは、過去の恋と今の恋が重なり、感傷的になったことによる発作みたいなものだった。自分に酔っていたのである。

大学時代、憧れの先生がいた。大学2年の時にその先生の講義を受けて以降、大学を卒業するまで、とめどなくその先生のことを考え夢見た。
先生のことを強く想った時、高校時代も同じように、妻子あられる学校の先生を好きになったことが思い出された。


高校時代の片思い。それは2年半続いた。それはもう一途なほど純粋なものだった。ただし大学時代のそれと比較しての話である。

高校当時も、精神的なものというより、肉体的なものとしての愛され方を考えることはあった。ただそれはあくまで薄っぺらな想像だった。
少しばかりの本や雑誌、映画、友人との話で得ただけの知識からの想像は、生々しいだけで現実味はない。
大学になるまで異性と付き合ったことがない私は、男と女の関係の実体験がないからそれもそのはずだが、じつにアンバランスで奇妙なものだった。
想像力を精一杯働かせ、先生に愛される自分をイメージしては、ものの10秒ほどで想像は途切れ、歯がゆく思う繰り返しであった。

先生が、いつもの自信たっぷりの雰囲気で、時折見せる少年のような純粋なまなざし、少し恥ずかしがった笑顔で私を見つめてくれることを妄想した。下世話なことも勝手に想像し興奮したりすることも少なからずあった。

今の私が知る先生の想像だけでは飽き足らず、先生の若い頃も想像した。今の先生は、とにかく仕事人間。私は先生の風貌よりも、仕事に対する情熱のすさまじさに惹かれて恋が始まったといってもいい。

先生は、熟練の教師。
40代という男盛りを迎え、威厳と貫禄があり、好き嫌いがはっきりしている感じで、表情が豊かで喜怒哀楽もわかりやすい。性格そのものが激しくて頑固。自分のやり方にとことん妥協がなく、国語の教師という職業ゆえ、話しの端々に深い教養と知性がほとばしっていた。張りのある自信たっぷりのよくとおる大きな声が印象的。今でも当然その声は覚えている。本当に声に色気がある方だった。

先生の若い頃については情報量がほとんどなかったので、想像しがたかったものの、教師という固い職業柄、恋愛に奥手だったんじゃないかなと思ったりした。あまりに仕事人間すぎる人は、恋もめちゃくちゃ積極的か、もしくはかなりあっさりしているかに二分される気がしていた。私は先生は後者だと思った。
なぜならそのほうが私に都合がよかっただけだ。いかにも好色とは言わないまでも、単純に女性の扱いが手馴れていてモテる男性は、タイプではなかったから。

あえて根拠を言えば、普段、生徒だけでなく同僚の先生の前でもゆるぎない自信をもって堂々としているだけに、仕事を離れた恋愛の部分では、少し不安げで自信がなさげな表情を自分に見せてくれればなあ、弱みを見せてくれればなあと思ったからだ。

私が現にみて知っている普段の強い先生と、想像上の弱い先生を、頭の中で縦横無尽に対比させ楽しんでいた。
奥さまはともかく、自信をもった男の人が自分の弱い部分を他人に見せることほど屈辱的なことはないだろうと思うが、先生のすべてを知りたかった私は、自分の知らない先生の弱さを強烈に欲していた。
さらに言えば、先生が時折笑った時の表情には、純粋なあどけなさを感じずにはいられなかったし、それは少年のようなうぶなやわらかさでもあったからだ。少年のような繊細さを残す男性が、色恋にめっぽう強いというのも考えられなかった。

片思いというは自分の勝手のいいように、相手のことを自由に想像できるから楽しいのだとその時から気づいていた。
どこまでも自分勝手で、閉鎖的で、おまけに生産性のないことだが、すべてのことに意味を求めることはしんどい。なぜ生きるかに対して考えるのだってしんどいものだ。
だからそんなときもあっていいのだと思う。

過去や今を否定することはすごく勇気がいるし大切なことだが、逆に否定してばかりでも先に進めない。時には過去の自分を優しく見つめてあげて思い出だけを大切にして生きるのも幸せだったりする。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す