8 嫁姑問題の理由とは?

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【思いの詰まった「みかてら」とは?】


セルフアップコーチ*の天砂美佳です。義両親との同居7300日を超え、コーチングや心理学、セラピー、カウンセリングを学んで嫁姑を克服した自分の経験を振り返り、「嫁塾」を始めることにしました!
☆嫁姑克服とは☆
私が同居を始めたころ目指していた目標を達成したことを指します!
・家族の絆があり
・夫と夫婦信頼しあい
・子供たちを理解し
・両親、義両親を理解し
・家族に理解され起業する
今、この5項目すべて達成して、起業しビジネスを少しずつ大きく広げていこうとしています。



そんなワタクシ美佳が「寺子屋」のような、先生と生徒がひざを突き合わせて、自由に話ができたり、自由に研究し、自由に討論出来るような、そんなイメージのこじんまりしたスクールが出来たら素敵だな、と思っていたことをWEBで形にしていきたいと思って、「美佳の寺子屋スクール」略して「みかてら」をスタートします。


よくいる「おせっかいなおばちゃん」がちょっと経験があるから「それはこうしたほうがいいんじゃない?」とか「それはこうするといいよ」みたいな世話焼きアドバイスのような感じ(笑)


なので、一度伝えてみたけど、やっぱり違うかも、と思ったらじゃんじゃん内容も変えて、公開しながらブラッシュアップしていく!


そんなWEBスクールです。スタートするけど、必要に応じて常に変化してよいものを追い求めていきますよ~!



【嫁姑問題とは?】


質問です♪
あなたは結婚して変わりましたか?そしてどう変わったと思いますか?

考えながら読んでくださいね💛
下の方に、私からの回答もあるので、是非読んでみて下さい♪

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ちょっと考えてみてくださいね。ただ、このブログ記事を読んでいるだけでなく、あなたご自身ことを考えてみる、それだけで、ただ私がここに書いていることを読んで知識として納得する、という状態でなく、あなたご自身の問題としてとらえられると思うからです。


私は、「嫁姑問題って大変」「昔からあること」「どうしようもない問題」そう聞いてきました。実際、私の母は姑にあたる、私の父方の祖母とはうまくいっていませんでした


母は東京都心で育ったいわば先進的な考え方の女性で、「自分の意見をもち、自分の想いを伝え、女性でも職業を持つ」という考え方の人でした。一方祖母は福島の田舎で、戦争中に夫を亡くし、女手一つで父と叔母を育てた人でした。母も祖母も「女性も職業を持つ」という考え方では一致しているようでしたが、母は「自立のため」、祖母は「生活のため(仕方なく)」と捉え方は全然違っていたのでしょう。


あと、母は田舎の農家の女性たちの大変さを垣間見て嫌になったようです。一度、祖母の実家が栃木県の北の方にあるのですが、そこは祖母の弟である叔父がついでいて、サラリーマンとの兼業農家でした。盆と正月はとても忙しく、農家ということもあってか、人が集まっていました。


母は、その大叔父の奥さん(大叔母)と話したらしいのですが、「正月に家にも帰れなくて休むこともできない」とその大叔母が母に伝えたそうです。それで母は「私は叔母さんがかわいそうで、お金を渡して、これで好きなものを買ってって言ったの。そういうの見るのは辛いから私はもう行かないよ」といい、父の田舎に行かなくなっていました。


母の「嫁姑」は考え方の違いや生まれた場所での考え方が大きく違っていたことが大きかったんだと思います。ただ、私には見えないところがありました。「自分でやってみないとわからない」ということで。


二世帯住居での同居の話があった時、悩みはしましたが、最初から同居することを決意しました。20年同居する間2年間だけ夫の仕事の関係でアメリカに住んでいましたが、18年間は同じ家屋に住んでいます。20年という年月同居して思うのは、「私なりの嫁姑問題のとらえ方」が出来てきたことです。


結果から言うと、「嫁姑問題」と取り立ててられ、いろいろ枝葉がついて、「大変な問題」と言われているけれど、確かに大変な問題だと思います。でも結局は「そのお嫁さんとお姑さんそれぞれが成長するために出会う関係」ということだと思います。


【痛み分け期間の必要性♪】

私は「お嫁さん」からの相談が多く、まだ「お姑さん」側からの相談は受けたことがないです(笑)


それと、私は3人娘なので、残念ながら、「お姑さん」の気持ちは味わえないということが決定しています。なんでも経験しないとわからないと思う性分なので、残念ですが、きっと私は「姑になる必要がない」ということなのだと理解しています^^


それで、思うのは、女性が夫にする人を選ぶとき、「自分の人生を決定すると同時に、その時の自分に必要な夫、そしてお姑さんが与えられる」と確信しています。


今、嫁姑の相談を受ける時、思うのが、「一定期間痛み分けが必要」です。それまでのお嫁さん側、お姑さん側のやり方が摩擦しあって、小競り合いになったり、険悪になったりする時期があるということです。この「痛み分け期間」がどの位か、というのは、そのお嫁さん、お姑さんに拠ります。長い人は本当に長く、私のように20年とかもっと長いスパンで「耐える」または「距離を置く」という精神的に試される時があるものです。


それで、今思うのは、人間が成長するための訓練期間なのではないかな、と思います。両親に愛情を受けて育ち、そのまま両親からの愛を受けただけでは気づかない様々なことが、結婚してから義理の両親を通して気づかされて成長する今日な環境を与えられると思うとちょうどいいと思います。


人間は面倒くさがりで、「変化する」事を怖がります。「できれば変わらず、そのまま居た方がよいし、楽(ラク)」と思うものです。



私も何度「義母は変わらなくてよいポジションで私だけが考え方を変えないといけないんだ!」と憤慨していました。義母は「私は我ままだけど変われないから!」というような表現で何度も「自分は変わりたくない」と言い続けていました。
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自分の決意というのは強いものです。そこにエネルギーが投入されていくようで、義母は「自分を変えない」ことにフォーカスして、そのため、義父や夫、私が変わらざるを得ない状況を作り出していたように思います。


何も知らなかった私はその「義母が自分を変えない」でよい環境を作っていることがうらやましかったし、私も変わりたくなかったです。なぜかというと、「変える」というのには大きく精神的に犠牲を払うからです。



何度も、自分がそれまで持っていた価値観や固執していた考え方と別れて来ました。別れる時は胸が痛んで、何度も「さようなら」「さようなら」「さようなら」と心の中で声がして、本当に寂しく辛い思いをしてきました。



私が「こんなに辛い思いをしているのも義母のせいなのになんであの人は変わらなくていいのだろう?」そう思った時期が結構長かったです。


【かわいい子には旅をさせよ♪】

ことわざで「かわいい子には旅をさせよ」とあります。これは、本当に子供のことを思うなら、かわいがる愛情、甘えさせる愛情だけでなく、突き放し、自ら気付くための苦しみ=旅を経験させること、だと今つくづく思います。


私自身、義母との人間関係では腑に落ちない不公平感をずっと持っていました。でも、ある時決意してコーチングを学ぶようになり、師匠から聞いた話が今でも耳に残っています。



師匠の知り合いの方に二人の姉妹がいて、姉は幼い時から美人で、周りにちやほやされていた。でも妹は美人というほどではなかったため、姉の横で寂しい思いをしていた。だから、自分が振り向いてもらえるように色々考え、工夫していた。



時がたち、姉妹が年を取った時、姉の美しさは年と共に失われ、それと同時にちやほやされることがなくなった。その時、妹はもともと美しくなく、工夫してきたので、それまで通り人に囲まれて楽しそうにしていた。その時姉は、「私は何も知らず、何もしてこなかった」と気づき、それから努力して魅力的な人になったそうです。



その話は、「自分が変わらなくてよい環境に居ることで成長する機会を失っている」という良いたとえ話だと思っています。私も、独身時代は「私は私で良い」と思ってきました。でも、結婚したところにいた義母に「私は変わらないから、(あなたが変わりなさい)」と言われたときに「ずるい!」とさえ思いました。



でも、日々の生活を心地よく、気持ち良く過ごすために、私が変わらないといけない。気分を損ねた義母のケアをしないといけない、義母が認知症で「嫁が盗った」と言って、濡れ衣を着せられる悔しさと悲しさを同時に味わって、受け止められなくても、何事もなかったように流していかないといけない。



そんな必死な状況に置かれて、「変わるのが嫌だ」と思っても変わってきました。その間、自分の価値観や考え方などと多くの固執していたものと別れてきました。別れる時は声がしますね。「さようなら」「さようなら」「さようなら」ってずっと声が聞こえます。そして胸のあたりがぎゅっと掴まれるような痛みがあって、「さようなら」の声が消えると「またお別れしたな~(涙)」と思っていました。


【逆境でしか心は育たない♪】

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人間は、自分が可愛いものです。世界で一番かわいいのは自分だと思います。甘やかしたいし、辛い思いをしたくないものです。だけど、本当に人として素晴らしい人と思える人の側にいると、喜びだけでなく、悲しみや苦しみも多く味わい、受け止めてきた人だとつくづく感じます



逆に年を取ってヒステリックな人を見ると、「あのような年寄りになりたくない」と思いますよね。そういう「ああなりたくない!」と思うことは良いことだと思います。だって、「どうしたら私はそうならないか?」という方法を探すから。



私は、探し求めていたから、同居したし、同居して腹を立てて「この家を出て行ってやる」と思っても軽率に家を出ることはせず、ずっと家を出ることを考えて行動してきました。私が家を出る時はみんなが円満に「美佳さん、もうこの家に縛られなくていいよ」と笑顔で送り出す「この家を卒業する」というイメージをいつも作ってきました。



そのためにはどうしたらいい?



そう考えると、軽率な行動は悔しくて涙が出て、歯ぎしりしたとしても、自分で決めたことを守り、生計を立てられるようにする、そのために時間をとる、夫と話をして理解してもらう、そんな風に自分が理想とする将来を思い描いてきました。



そして今、執着がなくなったのか、「別にこの家をでても出なくてもどうでもいいや」と思うようになっています。また「こうしたい、こうなりたい」という自分の将来イメージが出来てきたので、「家を出る」ことがどうでもよくなっています。



そこまで自分が変わってくるとあまり怖くなくなっています。義母は去年、脳梗塞を起こし、身体的な後遺症はなく、動くこと、食事のこと、排泄のこと、着替えのことなどは問題ないのですが、認知機能が各段に悪くなり、言われたことの理解が出来ない、記憶ができない、など、普通に生活できないので、今、義姉さんが義母の世話をしてくれていますが、すこしストレスフルな環境が続くようになったようです。



そういう時は、私も協力し、義姉さんが休める環境を確保し、その代り、夫や子供と義母の世話ができるよう体制を作る、というところに注視しています。そうやって人を巻き込んで、それでも難しいようなら、施設での生活を選ぶ事になると思います。



人間は死ぬまで成長し続けるために生まれたのかもしれないですね。「成長を止める」と決意してしまったとしたら、死んでしまったのと同じかもしれません。家族や嫁に「私は変われないから」と宣言した義母は成長をそこで止めてしまったのかもしれない、そんな風にさえ思えてきます。



【今日のまとめ♪】

先ほどの質問です♪
あなたは結婚して変わりましたか?そしてどう変わったと思いますか?



もちろん、私の周りでも、お姑さんを早くなくし、嫁姑問題とは関係ないようなお嫁さんも居ます。でも、その方々と話して思うのですが、その方々は「嫁姑」という問題で成長しなくていい、という事だと思いました。他の問題があるけれど、その問題でせいちょうしているところだったりしています。本当にその人が成長するのにちょうどよい問題が与えられると実感しています。
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「嫁姑」の人間関係が取りざたされるには理由があると思っています。
〇人間関係を切れない。(切る時は離婚や夫との不仲も考慮で)
〇同じ家屋に住んでいることもある。(逃げ場がない)
〇姑にとっては息子を嫁にとられた寂しいがある。(姑でないと理解不可)



この3点は、職場の人間関係や、地域の人間関係などより、近くて緊密な人間関係となる為に、お嫁さんにとっては「初めての大きな苦痛」となることと、上記3点から大きな成長の場であることは確かなのですが、「乗り越え方」がわからないと「自分が成長するため」の苦痛だと認識でず、乗り越えるのは難しいくなります。



私は、義母との人間関係で、色々なことを学び、気づかされ、嫌だと思いながらも変わり、成長できたということを感じます。義母との関係や、「この家にいるだけでは、自分の思い描く方向にいけない」と思ったことからコーチングを学び始めたという経緯もあって、何が幸いするかわからないものです。



最近、私が周囲の人々から言われる言葉があって、「よく気が利くね」とか「良く気付くよね」と言われます。私は独身の頃は言われたことがない言葉なので、言われ慣れずにいます(笑)でも、周囲に居る近い人から言われるので、その方たちはそう思うのだな~と思ってます。



でもなぜ?



そう考えると、独身の頃にはしなかったことを結婚してからしてきたからだと思います。それは猛義母が意識的、無意識的にしたことが裏返しのように私にとっての成長を促したものだと思います。私自身も「変われない人」でしたし、「変わるなんて嫌」な人でした。



でも、そんな私が必死に日々の生活をする中で、やってきたこと、考えてきたこと、行動してきたことの結果が今の私だと思います。改めて環境に感謝しました。だから、今の私は「同居」を勧めてしまうのです。だって、自動的に成長できる環境ってステキでしょう?


あなたのステキな人生を応援しています!
人間の細胞が全部入れ替わるのに3か月かかると言われています。細胞が分裂して新しく入れ替わりますが、一瞬で入れ替わるというわけではないんだそうです。ということは、長きにわたる思考方法や、癖、そして環境など、人間の細胞が少しずつ入れ替わるように、思考方法や癖、環境も少しずつ変える事で人生が少しずつ変わっていきます

私の経験やコーチングのクライアント様とのやり取りの中でお伝え出来る事があると思っています。実際にコーチングだといろいろお話ししないと💦と思ったりしていませんか?こちらは文字だけでのやり取りで完結できるようにしました^^♪
良かったら見てみて下さいね♪

【嫁姑特化♪】


【恋愛と嫁姑♪】




*セルフアップコーチについて補足説明させてください♥

コーチについて:コーチというのは、もともとcoachという英語から来ています。coachという英語は駅馬車に象徴されるように、「同じところを繰り返し通る」というような意味があります。バッグのブランドの名前にもなっていますね。



そしてスポーツのアスリートたちがコーチをつけるのは、望む姿に導いてもらう、繰り返しの反復練習を指示するようなイメージがありますよね。現在の日本では私のような精神面のコーチをするいわゆるメンタルコーチは浸透しつつあるところですが、コーチがクライアント様とセッションする「コーチング」でクライアント様のなりたい姿を明快にイメージし、そこまで伴走して導いていく、そんな活動をさせていただいています。



私は、コーチングのセッションで、クライアント様が「なりたい姿」をはっきりイメージし、今のご自分からそのなりたい姿に変化し成長することをお手伝いする「セルフアップコーチ」と名乗っています♪



私がコーチングに出会った経緯はこちら↓↓に詳しく書いてあります!


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