ちょっとお話聞いてください♪

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こんにちは、初めまして。
セルフアップコーチの天砂美佳(あまさみか)と申します。


ひとそれぞれ幸せの形は違うと思います。
多くの人とセッションをする中で、その人の思い描く幸せ像というのは違っていいんだな♥
と思っています。


今、私は「セルフアップコーチ」として、沢山の人の悩みを解決するスキルを手にして、多くの人と話をさせていただき、沢山の喜びの声をいただいています。
そして、1対1のセッションなら、「そのクライアント様の問題を解決できる!」という確信を持てるようになりました♪ちょっと今、上の写真にあることを考えてみてもらってもいいでしょうか?

「あなたは何にでもなれる」
「なりたい自分になっていい!」
あなたはどんな「あなた」になりたいですか?
そして今、あなたはそうなっていますか?

そこを考えながら読んでいただきたいのです♪

そんな私が今思い描くのは、「もっと多くの人の問題を解決できないだろうか?」ということでした。 そして、日本語でのセッションだけでなく、英語をもっとブラッシュアップし、「日本語と英語を扱うことで、もっと多くの人の問題を解決して行きたい!」そんな風に思うようになり、英語学習を再スタートしています。 


ちょっとまって。でも、日本語と英語を使いこなせたとしても、世界にはその他の言語が数多くありますよね。その言語が通じない人々のことを考えたり、そして耳が聞こえない人達のことを考えていました。そしてつい最近になって「ピアノとイラストで多くの人をいやせる人になりたい!」と思うようになりました。


幼少のころから独学で絵を学び(学校の美術の成績は常に5でした)似顔絵を描くことで50人以上の人に喜んでもらう機会があり、またピアノを弾くことはできるけれど、人をいやすために使えないだろうか?と思っていたら、今ピアノを人に聞いてもらう環境が出来つつあり、シンガーソングライターさんとコラボの話もでてきました。


自分が持てる力をフルに使って「伝えたい」と思うようになった時、今まで私が夢半ばで諦めたり、自分には不要だとやめることにしたことがそれぞれ点だったとしたら、それが線で繋がって来た!ように思います。


だからまだ発展途上だけど、希望が少しでもあるなら、可能性が少しでもあるなら、自分が望む遥か彼方の目的地に近づいて行こう!というようなワクワクした気持ちで日々過ごしています。


今、そんな気持ちの私でも、以前から幸せいっぱいで、ワクワクの毎日だったというわけではないのです。ここからあなたの大切なお時間をいただくので、5分で読めるように計算して書きました。約8000文字です。
是非5分間だけお付き合い下さらないでしょうか?

【結婚願望がなかったが結婚し同居した理由とは?】

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もともと、両親を見てきて、結婚にあこがれもなく、結婚願望もなかった、私が、なぜ結婚したのかというと、高校生くらいの時になぜか、にぎやかな自分の子供と思われる子供が横にいるキッチンで私がお弁当を作っているイメージが見えてしょうがなかったのです。だから私は「誰と結婚するか不明だけど、子供は賑やかな子供がいる」というイメージを持ち続けていました。
さて、念願の結婚をしたのは私が31歳の時。人より、結婚相手の見定めに時間をかけました^^ただ、結婚相手の両親は「二世帯住居」を構え、嫁を待っている状態でした。
さあ、あなたならどうする?


同居する?
離れて暮らす?
離れて暮らした後同居する?
どれも正解だと思います!

私はその時、沢山の本を読み、「嫁姑問題」があったとしても、「介護問題」があったとしても、最初から同居し、私自身が核家族で育ち、両親の結婚に疑問をもっていたからこそ、「自分の子供には大人が沢山いる環境を与えたい」と思ったのでした。 


私は知りませんでした。「嫁が義母の不始末まで背負わされる家に嫁いだ」とは。。。


ご多聞に漏れず、いろいろあり、書けば長くなるので略しますが、結局私の結婚と同時期に義母の認知症が発症していたらしく、義母の記憶からなくなったものが、現実と食い違う状態のつじつま合わせを「嫁が盗った」ことで片付けられ、驚くことは義父から、謝罪されるどころか、「悪く思わんでくれ」と言われたことでした。



義母が自分の記憶違いで人を責めても、義母ははおとがめなしで、責められた方は「我慢せよ」と言われる、羽をへし折られて飛べなくなった鳥のような気持ちでした。


実母が姑とうまくいっていなかったのを目の当たりにしていた私は、義母とうまくやる方法を模索し、ありとあらゆることをしてみました。ただ、義母が勝手に失う記憶と現実とのギャップを埋めるのに「嫁がとった」と言われるのは、非常に嫌な出来事でした。


最初は義母が認知症だと誰もわからなかったので、私が悪者になり、さらに時期が経ち、義母が疲れると忘れっぽくなるということで、やはり「嫁がこの内容を吞む」ことで丸く収めさせられました。


義母がにこやかに「もう使わないから使って!」と言って渡してきたため、迷惑にさえ思った布団5~6枚を受け取りました。しかし義母が自分で嫁に渡したという経緯を忘れ、「嫁がとった」と怒り怒鳴り散らし、殴られました。

【自殺願望が生まれる!】

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そういう状況が何年か続き、義母の「嫁が泥棒」と押しつければすべてよしのおかげで、どう進めばよいかわからなくなり、本気でこの世から消える方法を考えました。

常々、義母が機嫌が悪くなると、あざけるような言い回しをして、嫌がらせをするので、「いつかこの家を出て行って、出ていくだけの実力があるとこの義母に見せつけてやる」と思っていました!
ところが出ていくどころか、結婚してから15年程が経ち、専業主婦、子育て以外何もしていない自分が、幼稚園のクラス役員を任され、そのことで出かけようとすると「そんなことしていないで働け!」と怒鳴られる日々でした。
出かける、となると玄関先でねちねちと嫌味を言われ、義母の気に入らないことをすると怒鳴られ、なじられ、殴られ、挙句の果ては、顔に唾を吐かれました。。。。


人の唾を自分の顔で受ける。


想像できますか?悔しさより、ショックが大きくて、義母が見ていない外の水道で義母の唾を水で流したことは生涯忘れることはないと思います。
しかも、その唾をはいた義母は平然として、私が出かけようとしていたのに、用事を言いつけ、「車を出して店に連れていけ」というのです。
生きた心地がしませんでした。この人とはもう一緒に居られないと思ったし「この家を出て行ってやる」とまた誓いました。


そして「出ていく」と思っても出かけられないのには、生計を立てる手段がなかったから、ということにも気づきました。義母に怒鳴られ、なじられ、殴られ、唾を吐かれた上に、唯一の息抜きの実家に帰ることさえ夫から怒鳴られました。


その時、「こんな夫と結婚した私がばかだった。だからこの義母とこういう目に遭ったし、この家には私の未来がない」と思い、この世から消えることを選ぼうとしたとき、ふと目の前に子供達の寝顔がありました。


私が死んだら、この子供たちはどうなるのだろう?


しばらく考えました。夫には愛想が尽きた、義母とは一刻も早く別れたい。家を飛び出すのは簡単だ。その場の感情で簡単なことを選ぶのは私の性に合わなかったし、私流ではないと考えた時に。。。。



独身の時から先のことを考え、万が一のことを考えて、貯蓄を第一にしていたため当時の貯金額が1千万円を超えていました。それは夫には伝えておらず、「子供の教育費」として使おうと思っていました。

あなたはどちらがいいと思いますか?
母親が死んで、子供にお金が残る。
母親が生きて、子供に生きる方法を伝える。



私は後者を選びました!
「死んだと思って出来ることすべてやってみよう」と思ったわけです。


【コーチングに出会った!】

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今の家にいても先に続く道がないと思った時、私は「すべて自分に投資し、学び、子供に生きる方法を伝える」ことを選びました。この時、「自分にお金を使ってはいけない!」というお金に対するブロックが外れたと思います。


そして、その時同時に「お金は全て自分のために使う!夫や義母のためには絶対に使わない!きっと子供たちは何とかなる」そう決心しました。


その頃、ウェインダイアーというアメリカの精神分析学者にして作家の書籍「いいことが次々起こる心の魔法」という本をたまたま買って、10回以上読み、義母との確執は「心の持ち様で全然違う」と実感としてありました。この本で、感情的に家を飛び出すことが私にとって良い結果を生まないという心の歯止めになっていたと思います。


当時、義母の支配下に置かれ、家から出られなくなったため、インターネットでいろいろなことを探し始めました。夫や義母から逃れてさらに3人の子供達を連れて家を出るには、何が必要かしらべ、衝撃の事実を知ることとなりました。


1千万円程度しかないのであれば、住む家すら購入できない。


家を購入したとしてもそのあとの生活が成り立たない。家具や生活の必需品、光熱費など、生活するにはそれ相応のお金が必要だということを知らされました。(それすら知らない箱入り嫁だったことは恥ずかしい次第です💧)


それなら、今いる家で苦渋をなめながら、生計を立てる手段を考えるしかない。そう思ってインターネットを使い、本屋で立ち読みしながら、パートやアルバイト、正社員ではない働き方「起業する」ということに興味を持つようになりました。


まずできることから始め、インターネットのビジネスについて調べました。そして外に出られないので、最初の高額の商材を時間をかけ、動画視聴して、購入たものの、使おうとすると実際に会場に出向くセミナー参加ではっきりわかるとの話でした。夫にセミナー話をすると、「インターネットのものは詐欺だ」と言われ、セミナー参加を阻まれ、お金は無駄になり、罵倒されただけでした。


私は、「この家を出て、娘たちと生活するためお金を稼ぐ必要がある」ことが念頭にあり諦められず、いくつもの高額商材を購入し、いくつかのコミュニティにも入ってみたけれど、夫と義母に阻まれてセミナー会場に出向くことができない。


歯がゆい思いでどうしたら今の状況を打破できるかずっと考えていました。コミュニティに入って、オフ会などで皆が楽しくパーティ会場にいる写真などをSNSにアップしているところを見て、涙が出るほど悔しかったです。


なぜ、私は座敷牢に入れられている囚人のようになっているのだろう?出かけられないから、学ぶことができず、いつも塾では結果がでない💦



いろいろな人のメルマガからいろいろなビジネスの話があって、いろいろやってみてもうまくいかない。何かがうまくいかない。利益や収益が出るよりも今まであった貯金が減っていきました。「出かけずに稼げないだろうか?」一番ダメな思考回路にはまっていました。


私が夫より稼げたら、夫や義母も私を自由に外に出してくれるはず!


そう思うからこそ、お金が減るばかりだと、焦りが生まれ、また次にくる「よさそうな話」「簡単に稼げる話」に飛びついてしまう、いわゆる「ノウハウコレクター」になっていました。



なんと、「もうこれが最後」と思った時、師匠に出会うことができました。師匠は、世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズから直接コーチングメソッドを学び日本に伝えている第一人者でした。しかもアンソニーの作家仲間が私が著書を何度も読んだウェインダイアー博士でした。すでに私がウェインダイアー博士を知った時、故人だったため、10回も本を読んでも、理解できないところが結局理解できないままだったのです。


繋がった!と思いました。


でも最初は夫や義母の阻止があり、新しいコミュニティの仲間たちが、実際のセミナーにいって、楽しそうにセミナーを受ける様子を涙を呑んで悔しい思いをしながら家から出られずにいました。「なぜ私はいけないのだろう、期限があるセミナーなので、いけなければお金も無駄になってしまい八方ふさがりだ」と思いつつ、「必ず私はこの家から出ていく」という誓いを繰り返し、じりじり焼かれるような思いで時を待ちました。


でも、そんな私が、今の状況になるまでには3つの転機がありました。


【転機1~パートに出かける】

最初の転機は、子供達が小学校に上がったことで、私に時間ができたこと。それでいろいろ調べたり、ライターとして細々とお仕事をもらえるコミュニティに参加出来たり、専業主婦として社会と分断されていた私でしたが、少しずつ、できることを増やしていきました。


それと、インターネットのビジネスや、仮想通貨など、安全第一主義の夫が飛びあがるようなお金の稼ぎ方を探そうとしていたので、うまくいくはずがありません。またコミュニティに入って、夜中までSNSでのやり取りをしたり、ライターの仕事をしたりしていると、露骨に面白くない顔をするので、私も夫のそういう顔を見ないで済むように、隠れて作業をしました。すると、余計に「なんで隠れてこそこそやるんだ!、やましいことをしているからじゃないか?」と不満をぶちまけられました。


でも、ある仮想通貨のことで、「隠していてもしょうがない。堂々と話してみよう」と思ったときに、ウェビナーを見ていたら、だんだんと夫が不機嫌になり、最後には喧嘩になり「こんなことをするなら子供を置いて出ていけ!」と言われました。


またしても怒鳴られ、「子供を置いて出ていけ」とまで言われ、「こんな家出て行ってやる」という言葉がのどまで出かけて、悔し涙と共に飲み込みました。ひたすら子供のためでした。


そこから、夫婦関係がぎすぎすして行きました。私はこの家にいる限り、夫と義母の支配下に置かれるので、とにかく生計をたてられるというより、夫が望むようなパートを探して外に出ることを考えました。インターネットのライターなどをしていると、一日中座っていて、子供の監督もできず、体も悪くなってしまいったからです。


夫にパートの話をすると、夫が休みの土日は休みで、お盆やお正月や休みの仕事をしてほしい、というのです。「そんな都合のいい仕事ある訳ない」と思いましたが、とにかく、仕事を探して1年余り、「家事代行スタッフ」という夫の望み通りの仕事を探し、やり始めました。


この仕事が良かったのは、色々なお宅に仕事に行くので、決まった事務所に行くわけではないことから、セミナーや勉強会などの口実になることでした。セミナーに行く時も仕事という口実を使い、外に出まくりました!


「クラス役員なんかしていないで働け!」と怒鳴った義母も、「家事代行の仕事に行ってきます」というと、無条件で「はい」と何事もなかったように家を出ることができるようになりました。


だれにも文句を言われず、口実も言わずに自由に外に出られるようになったことは本当にうれしかったものです。本来普通にできることが、不自由になり、できなくなったけれど、いろいろな方法を探しながら、時期を待って、自分が働きかけてできるようになった、という事実は達成感を感じ、自信となりました。


【転機2~娘の不登校】

ちょうど家事代行の仕事が慣れてきたころ、師匠のセミナーにいける権利を購入したものの、アンソニーのコーチングメソッドを伝えるセミナーは2時間などという生易しいセミナーではなく、8時間通しのセミナーが6日間というハードなセミナーだったので、神奈川県の自宅から、都心まで往復3時間と8時間のセミナーを受講の11時間が必要でした。その分の家の仕事はどうしたらよいのか、算段が付来ませんでした。


結局、仲間たちが楽しそうにセミナー受講している様子をじりじり焼かれる思いで時を待ちました。そして、結局期限切れでセミナーにいける権利もお金も無駄にしてしまった感じ(泣)


私はいったい何をしているんだ!そこにあるのは焦燥感だけ。。



そんな思いになった時、娘が不登校に!!お腹が痛いと早退し、休みがちになり、あれよあれよという間に学校に行かなくなりした。最初は普通の親として学校に行くよういろいろなだめましたし、体が悪いのかもしれないと、病院で調べてもらったり駆け回りました



また、学校の先生方と良くお話をし、娘とも話をして「なにか学校でいじめられたというようなことはなかったか」調査もしました。PTA役員をした関係で知り合いの保護者が多くなったので、多くの人に聞いてみましたが、特段問題はでてきませんでした


そして、NHKで不登校児童の病気を突きとめ、学校に戻れるようにしたとニュースで報道されたドクターを頼り、埼玉まで行きましたが、入院して検査を受けた結果「病気ではありません、精神的な問題でしょう」といわれ、途方にくれました。


最初は、学校に行ってもらわないと、と思っていた私も、「この子に学校は合わないかもしれない」と思うようになり、学校に行かないなら、私の代わりに家事をしてもらえば、私はセミナーに行けるではないか!そう思いました。なので、不登校になった娘が、学校に行かい代わりに、家事をしてくれることで、私がセミナーに出かけられたのです。



このことで、私は不登校であるにもかかわらず、本当に娘に感謝しています。また、娘と一緒に同じセミナーに出たので、私が通うセミナーが娘の目から見ても「おかしいセミナーではなく、とても良い」と思ったようで、私の味方になってくれました。夫も、娘の感想があったことで、そのセミナーについては余計な文句は言わなくなりました。



そして私は認定コーチの資格を取ることができたのです。


【転機3~夫との和解】

その後、ライティングの勉強をしようとして、無料塾に入ってみた時、いろいろな商品の販売方法を熟知するように言われ、「販売するなら内容を見ないといけないかもしれない」と思って、詐欺まがいの方法で商品を売るところから商品を購入してしまい、その無料塾は即刻辞めました



ひどい商売のやり方を味わい「私はこういう商売は絶対にしない!」と心に誓うと同時に、絶対に支払をしないと決め、商材の返金をしたことがある知り合いに相談すると、「消費生活センター」に行くように言われ、書類の作り方も教えてもらいました。


消費生活センターは市役所に入っており、何度も通って商材を販売した会社とのやり取りをしてもらいます。なのでそこで返金の請求をするなら、夫に話をしようと、腹をくくりました。それで夫に、「詐欺にあったこと、そして支払ったお金の返金依頼を消費生活センターを通してして返金処理をしてもらう。それと、今後コーチとして困っている人を助けたいし、そのための学びは続けたい。」ということ伝えました!



すると夫から、以前私との話の中で、「もしかしたら(私を)焦らせて、詐欺にあうような原因を作ったのは自分かもしれない。今回の詐欺の問題はおまえ(私)のお金だから自分で気のすむようにしたらいい。あと、困っている人を助けることをするなら出来ることは手伝うから、仕事にするならきちんと話を聞かせてほしい。」と言われました!



夫に理解してもらえた、というのは私の中でとても重要なことでした。このことで、私が仕事に時間を使うこと、仕事のための学びに時間を割くことが堂々とできるようになり、「本格的に仕事をするため、開業しよう」とまで決意でき、私自身前進することができました。



リモートワークの夫は食後の食器洗いを手伝ってくれたり、義母の面倒を見てくれたりして、私が仕事に打ち込めるような環境を作ってくれて、本当に感謝しています。この環境が無かったら、続けられなかったと思います。


【私のように座敷牢に閉じ込められた人をすくいたい!】

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今はコーチとして、様々な学びを日々受けています。そして、実践的な練習や、実際にセッションを行うということを繰り返し、研鑽を積んでいます。


でも、私も、一足飛びに「コーチになりたいから」といって慣れたわけではなく、自分の行動を変え、考え方を変え、環境を少しずつ変えて来ました。3つの転機がありましたが、この転機も自分で呼び込んだものと、コーチに背中を押されたものとがあります。



今、私はコーチと言われる人についています。コーチングをしてもらい、自分がやりたいことを手に入れるために、セッションをしてもらっています。
3つの転機はコーチのおかげだと思っています。一見、不可能そうに見える事でも、諦めない事、時を待つこと、ピンチに見えてもそれが実はチャンスであることを教えてくれ、実際に私が行動することが出来たのです。



ノウハウをいくら購入して知識を得ても、行動ができなければ、何も動きません。ノウハウを購入し、知識を得るということはある意味、購入出来れば出来ることです。でもその先、行動する事こそが一番難しいのです。



その行動するためのモチベーションを与えるのがコーチだと思っていただけるとわかりやすいと思います。アスリートに寄り添ってそのアスリートが望む結果を手にできるようにするコーチと同じように、クライアントに寄り添ってコーチはクライアントが目指すこと、手に入れたい結果を手に入れられるよう行動を促します。



私はそのコーチから受けたものと、コーチングのスキルを学び、50人以上の悩みを持つ人々にセッションをして来ました。そして、今私自身がかつて願っていたことをココナラに出品させていただこうと思うようになりました。



それは私が「座敷牢の囚人」だった時、本当に欲しかったのが「話す場所」でした。義理の母の文句は義理の姉たちには言えませんでした。だから姉たちは15年以上たって、義母が明らかにおかしくなってから、わたしから伝えたのではなく、義母のおかしな様子から気付いたようです。



また義母の文句はもちろん、義父には言えるはずはなく、夫ですら、相談相手にもなりませんでした。つまり、嫁は他人であるだけでなく、文句やホッとできる話し相手も家の中にはいないのです。また、家の近所や地域では「家の恥」をさらすことになるし、共感できない人には話すだけで、ストレスでした。



家族でも、親族でも、お友達でもなく、しがらみやつながりがない、でも嫁の辛さを知っている人、共感してもらえる人と話すことで楽になりたい!


あなたは悪くないんです。
そのままでいいんです。
充分すぎるほど頑張っています!



だから、私に伝えてください。どんな小さなことでも聞きます。
独身の頃から、よく人に相談を持ち掛けられても、解決方法がわからず、苦しんでいました。でも、今はコーチとして様々な問題解決方法を学び、伝えることもできます。



私の心の傷はまだ存在はしています。でもその心の傷を「悲しい辛い思い出」や「恨み、憎しみ」のままにはしていません。今は全て学びだと思っています。私は独身時代「良く気が付くね」とか「気が利くね」と言われたことがなかったのですが、今は色々なところでよくそういわれます。それはもしかしたら、私自身がそれまでなかった見方と捉え方をすることで、変われたのだと思います。



そう考えると、この「座敷牢」をつくった義両親に感謝であり、「座敷牢の囚人」にさせた義母や夫が居なかったら、人から見て「気の利く」私は生まれていなかったと思います。人間はなかなか変われません。だから、「座敷牢の囚人」状態が、私をも成長させるきっかけとなったということに今は感謝の言葉しかありません。



だから、今、あなたが「座敷牢の囚人」になっていたとしても、それはあなたが成長するためのロケットの発着台のようなものです。ロケットが発射するために、発射台にはどれだけの力がかかるか、想像してみるとすごい力だと思います。まさにあなたは、宇宙に発射されるほど、高く自由に飛び立てる前の段階にいるのです。そこには変われるチャンスしかないのですよね。



最初にお話しした
「あなたは何にでもなれる」 
「なりたい自分になっていい!」

あなたはどんな「あなた」になりたいですか?
そして今、あなたはそうなっていますか?



ロケットは発射するまでは、発射台は発射の力を受け止めます。そういう状態、辛いですよね、苦しいですよね。だから、お話を聞かせてくださいね。丁寧にお聴きします!


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