6 嫁姑克服の鍵!その3:バックトラック

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【思いの詰まった「みかてら」とは?】


セルフアップコーチ*の天砂美佳です。義両親との同居7300日を超え、コーチングや心理学、セラピー、カウンセリングを学んで嫁姑を克服した自分の経験を振り返り、「嫁塾」を始めることにしました!
☆嫁姑克服とは☆
私が同居を始めたころ目指していた目標を達成したことを指します!
・家族の絆があり
・夫と夫婦信頼しあい
・子供たちを理解し
・両親、義両親を理解し
・家族に理解され起業する
今、この5項目すべて達成して、起業しビジネスを少しずつ大きく広げていこうとしています。



そんなワタクシ美佳が「寺子屋」のような、先生と生徒がひざを突き合わせて、自由に話ができたり、自由に研究し、自由に討論出来るような、そんなイメージのこじんまりしたスクールが出来たら素敵だな、と思っていたことをWEBで形にしていきたいと思って、「美佳の寺子屋スクール」略して「みかてら」をスタートします。


よくいる「おせっかいなおばちゃん」がちょっと経験があるから「それはこうしたほうがいいんじゃない?」とか「それはこうするといいよ」みたいな世話焼きアドバイスのような感じ(笑)


なので、一度伝えてみたけど、やっぱり違うかも、と思ったらじゃんじゃん内容も変えて、公開しながらブラッシュアップしていく


そんなWEBスクールです。スタートするけど、必要に応じて常に変化してよいものを追い求めたいです。
ご承知おきくださいませ!


【心理学の手法~超簡単♪】

「嫁塾」恒例質問タイム~♪
想定外の状況が起こった時、どうしてますか?
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ちょっと考えてみてくださいね。嫁は実家の考え方や自分なりの感じ方、考え方で育ってから、結婚した家にある「義理両親の考え方」の中に放り込まれますから、想定外の状況って多いと思うのです。


そういう時の対処方法で、「こうすればよかったんだ~」と知ったのがなんと、結婚後17年後です。なんと2022年6月現在、結婚22年目突入です。
「早く知っていれば17年も苦労しなかったのに!」
と思ってしまうから、あなたには伝えますね^^


私の場合、サラリーマン家庭で育ち、サラリーマン家庭に嫁いだのですが、なんともアウェイ感がすごかったです。その理由は、義母の作ったルールが多かったからだと思います。義母を生活を共にしてきた義父や夫、義姉さん達からは義母の作ったルールが生活の基になっているのだと思いますが、そのルールは、必ずしも正しいものではなく、その家族にだけ必要なものです。


だから、私には不要に思えるものの方が超絶多くて、その次に、どちらでもいいものが多く、共通項と思えるものはほんの少しだけでした。でも、そのカテゴライズは一朝一夕にできたわけではなく、長いことかかりましたよ~。


だから、私にとって、義母が怒り出すタイミングがよくわかりませんでした。性格的には全然違うタイプで、「絶対友達にはしない面倒なタイプ」何ですよね~(爆)そんな感じだと、会話も合わないし、義母が楽しめる会話は私には全然楽しくないし、私が楽しい会話には義母はつまらなさそうでした。


「楽しい方向性が全く違うから、会話は最小限で」


と決めました。週末はお昼2回、夜2回はお互いに食事に呼ぶ、というルールは義母が作りました。朝ごはんと平日のご飯は別々なのは、私が結婚後も仕事をつづけたので自然にそうなりました。義母が「ご飯作ろうか?」
と言ってくれましたが、断りました!(きっぱり)


そういう義母が決めた「一緒に居るルール」のおかげで、想定外の出来事が多かったものです。私は「二世帯住居だから、一緒に居なくてよいはず」と思っていましたが、義母は「息子夫婦は自分たちをたてて挨拶に来るべき」と思っていたようで、そこから既に合わなかったので。


【バックトラック~オウム返しの手法】

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想定外の事が起きると、リアクションに困りますよね!?


自分が今まで生きてきた中に、「そんな方法はあり得なかった!?」ということなわけです。そして、あり得ない方法でも「良い事」や「それはやってもらって嬉しい!」ということだったら、頭より先に、「うれしい~♪」と表情にでて、感謝してしまうはずです。


つまり、ここでいう想定外は「あり得ないことで、明らかに喧嘩を売られているけど、どうやって対応しようかしら?!」ということだと思います。私の場合、想定外の時は、感情より先に、ビックリしてハトマメ状態で、目が点になって止まってしまいます


頭の回転が速くて、ついを言ってしまう!
感情が早く出てしまう!


というお嫁さんには特に、バックトラックは使えると思います。私のようにハトマメ(鳩が豆鉄砲を食らった)状態の嫁でも、結構使えます(笑)
というのは、バックトラックというNLPという心理学の手法は、「相手の言うことをオウム返しに言い返すだけ」だからです。


お姑さんが言ってきた「想定外のこと」をそのままそっくり言い直せばいいんです(きっぱり)


そんなことして怒られない?
なにそれ?


と思うかもしれません。もちろん、そこにはラポールという心理学用語にあるような、心と心が分かり合い、理解しあっている状態にあるのが望ましいのですが、嫁姑の場合はそこまで人間関係築くより前に色々起こりますから、考えないで、なるべく感情を入れずに、お姑さんが言ってきた言葉をそのまま言い返して見てくださいね~♪


そうやってオウム返しにすることで、相手は「自分の言葉をそのまま言ってくれた」=「自分のことを受け入れてくれた」と思うのです。ただ、「オウム返しで馬鹿にして、嫌な嫁!」と思われるのではないか?と思って怖くなるなら、やめた方がいいです。


その気持ちがお姑さんに伝わって、結局ねちねちと嫌味を言われると思います。だから、気持ちがニュートラルで、「感情を入れずにオウム返し出来るな」と思う時だけ出来たらいいですね♥



そして、あなたが、想定外の出来事に出くわした時、ニュートラルな感情でオウム返し出来たら、その時、考える時間ができるので、さらに良しです。そして、お姑さんが「嫁に受け入れてもらえてる?」とちょっと良い気持ちになっている間に、対処方法を考えるのです!


その対処方法を考えるためのホンの2~3秒だったとしても、なにもしないよりした方が良い、というのが20年同居嫁をしている私からの小さな知恵です。

【義母のマイルール】

ここで使っている「マイルール」の定義は「自分が勝手に作る基準を決めたもの、または規則」です。人間は、生きている間に、自分が困ったり、環境に適応しようとしたり、失敗したりして、次回から番かいしようとするとき、意識的、または無意識的に基準を決めようとします。それがあることで、次回から困らない、という「転ばぬ先の杖」のようなものです。


意識的にルール決めするときは、ある程度認識があったり、周囲の近い人たちと話し合って決めたりしますが、無意識的にルールが決まる時は、自分でも意図していなかったようなマイルールが無意識下の勘違いで決まってしまうことも結構多いのです。知らないうちにできたルールに縛られるときがあります。


特に幼い頃は、状況が理解できないまま、勘違いでルールを作ったりすることがあるので、そういう時は、その「マイルール」が出来たことも知らないし、その「マイルール」に縛られているという事実も気づかない事があるということなのです。


「マイルール」にはそういう側面があります。その「マイルール」に気づき、対処することで、自分自身の束縛から解放されるのですが、それは別の回でお伝えしますね。


私の義母のように「人に迷惑をかけない!」または「人から後ろ指を指されないようにする!」というルールを強く守ろうとしている人は陥りやすいのですが、とにかくルールを決めたがります。そのルールの中に居ると安心なのだと思います。だからそういうお姑さんの嫁は、いち早く「共通項」を探し出し、それを遵守することは必要だと思います。なぜかというと、「不毛な争いや苛立ちが少なくなる」し、姑と同じ目線で居られるのはどこかがわかると、「そこだけは同じ」と相手を受け入れやすいですよね。


先ほどの、「義母のマイルール」では3つのカテゴリー分けをするとよいと思います。
〇全く共感できないもの(不要と思われるので一緒にルールを守りたくないもの)
〇どちらでもよいもの(共感できないけど、思い入れもなく、一緒にルールを守れるもの)
〇共感できるもの(一緒にルールを守りたいもの)
下に行くほど数が少なくなるように思うのは私だけでしょうか?


【姑は姑、嫁は嫁】

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私は、20年前、結婚したときは、あまり自分を強く持たないで、柔軟にどんな意見にも耳を貸して、一度自分に落とし込んで合うものを受け入れて行けばよいと思っていました。


でも義母に応対しているうちに、ようやく分かってきたのが、20年義母を表からも裏からも見ていて、そして、恨みや憎しみはすでに無くなり、今は感謝の気持ちでもある今の思いから、義母に対し、非常に「もったいないな~」と思うところがありますが、言ってません(きっぱり)^^♪


私の義母は、とても良い人だし、とてもスマートな人だと思います。でも、自己肯定感がとても低く、広く学び、広く色々なところから吸収するというような柔軟性がないのです。彼女の世界は狭くて、親戚や近所の人たちから「良い人」と言われるように、それだけのために生きているように見えました。


何歳からでも学びはあるし、知らないなら何歳からでも知ろうとすればいいのに、「知らないことが恥」と思うみたいで、「馬鹿にされる」ということに非常に敏感になっていました。人からの評価を「馬鹿にされているかいないか」にしているような。


70歳を超えた義母から「私の両親が〇〇って言っていたからそうしないといけないのよ」と言っていた時は驚きました。70歳を超えても、自分の言葉で言わず、両親の言葉で言うというところは想定外で驚きました。どれだけ、自己肯定感の低い人なのだろうと思うと、気の毒になります。


色々なところを見せてくれた義母には、感謝し、義母には義母の人生があり、私は私の人生があると思えるようになったことで生きやすくなったことは言うまでもありません。やはり、人生いつからでも知らないことを知るための学びの場に行くことは必要だと思います。



知らないことを知らないままにすることが、成長を妨げるのであり、「馬鹿にされる」と思うことが学びの場に行くことを阻害してしまいます。私はもっと広く学び、色々な人の考え方から学べるよう柔軟性をいつも持てるようにして行こうと思っています!

【プライバシーの守り方】

同居嫁の場合は、居場所が大まかに分かれていても、自由に行き来できるような状況の家屋の作りもあると思います。


「姑が来ないように、自分の居所側に鍵を付けた」と言っている同居嫁もいました。彼女は横に2つの家がくっついているタイプの二世帯住居のようで、家の中から行き来できるドアがあり、そこに鍵があれば、プライバシーが守れるという意味では必要な場合もあると思います。


そして、私の義母は、自分のプライバシーを守りたい人で、そうすることで安心安全だと思っているようです。お隣との間に、木を植えて、窓から見えないようにしたり、新しく家ができる境界線にはあえて目隠し用の塀を建ててました。
人から隠れたい!
人目を避けたい!


そういう思いのように見えて、あけっぴろげの私からみると、隠れたがりの小動物、またはすぐに岩陰にかくれてしまう小魚のように見えてしまいました。


また、認知症がすすみ、モノがどんどんなくなるように思えたようだったり、勘違いして、モノが出てきたように見えたりすることなど、自分の記憶と現実にあることに大きな食い違いが起こり続け、気が狂ってしまったようなときがあり、暴言を吐き、暴力的になった挙句、「鍵をつけて!」と言って、夫がホームセンターで鍵を買ってきて付けてました

ただ、今は鍵をかけること自体すでにわからなくなっていて、使っていません。そういうもの


それを見て、私は「あなたのようになりたくないから、私は私の居所に絶対鍵をかけない」と思い、勝手に来る義母が入ってきて苛立つこともありましたが、自分のルールとして鍵をつけませんでしたし、今もつけていません。


執着というものは恐ろしいものだと思います。モノに対する執着、お金への執着、人への執着など、執着って自分から外に向かうエネルギーじゃないですか。だったら、自分で「執着というエネルギーを外に出さない!」って決めればいいだけなんですよね。執着を手放せたら、本当に楽になると思います。私の義母にも伝えたいんだけどな~。


【今日のまとめ~♪】

「嫁塾」恒例の質問に対する答えはみつかりましたか?


今日の質問は:
想定外の状況が起こった時、どうしてますか?


いろいろな方法があると思いますが、まずはニュートラルに「オウム返し」で、相手の言った言葉をそのまま言い返す。そして「そうなんですか?」とか言いながら、その状況の判断をしていき、自分のリアクション方法を考える。


まだ双子の子供達が小さく、ちょっとの間子供達世話をしてもらっていた時のこと、子供達が水をひっくり返して床が水浸しに。。。
私はびっくりして感情的になり「わ~!わ~!」と言ってしまったことがあり、あとからねちねちと嫌味を言われました。私が戻った時に想定外の状況になっていたのですが、頭が真っ白でなにも言葉が出てこないで「わ~わ~」と言っていたら、義母を非難しているように聞こえたようです。まあ、確かに感情のままに言ってはいけないですよね。


それから、色々考えて、汎用的に、とりあえずいつでも使える手法ではあるのですが、感情的にはニュートラルに「バックトラック」を使うのが一番良いです。NLP恐るべし。速攻その日に使えますよ!

私の経験やコーチングのクライアント様とのやり取りの中でお伝え出来る事があると思っています。実際にコーチングだといろいろお話ししないと💦と思ったりしていませんか?こちらは文字だけでのやり取りで完結できるようにしました^^♪
良かったら見てみて下さいね♪

【嫁姑特化♪】


【恋愛と嫁姑♪】






*セルフアップコーチについて補足説明させてください♥

コーチについて:コーチというのは、もともとcoachという英語から来ています。coachという英語は駅馬車に象徴されるように、「同じところを繰り返し通る」というような意味があります。バッグのブランドの名前にもなっていますね。


そしてスポーツのアスリートたちがコーチをつけるのは、望む姿に導いてもらう、繰り返しの反復練習を指示するようなイメージがありますよね。現在の日本では私のような精神面のコーチをするいわゆるメンタルコーチは浸透しつつあるところですが、コーチがクライアント様とセッションする「コーチング」でクライアント様のなりたい姿を明快にイメージし、そこまで伴走して導いていく、そんな活動をさせていただいています。


私は、コーチングのセッションで、クライアント様が「なりたい姿」をはっきりイメージし、今のご自分からそのなりたい姿に変化し成長することをお手伝いする「セルフアップコーチ」と名乗っています♪


私がコーチングに出会った経緯はこちら↓↓に詳しく書いてあります!



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