黒帯の感謝

記事
コラム
いつもありがとうございます。

先日、母と久しぶりの電話を
しました。

ほんの2~3分ですけどね。

親の心子知らずと言いますが、両親の
愛の深さには、まだ気がつけて
いません。

自分が親になったとき、親の心が
分かるようになると聞きます。

わたしには、まだ、子どもがいません
ので、想像でしかありません。

きっと、その想像をはるかに超える
愛があるのだろうなと思います。

電話で2~3分話をするだけで、
安心させられるのなら、その手間を
惜しんではいけないなと思います。

最後に帰省したのが、昨年の11月か
12月だったので、もうすぐ1年が
経ちます。

1年も両親に会わないことは、
いままでありませんでした。

ホームシックなわけではありません
が、元気な姿を見せたいなと
思います。

1年会わないくらい、世間では、
普通のことなのかもしれませんが。

先日、両親に対する反省と感謝の
研修を受けてきました。

その研修を受けようと決めたのが、
9月の上旬。

受けようと決めた日から、毎日、
両親のことを考えています。

そこで感じることとしては、「こんな
にも両親のことについて考えることは
なかった」ということです。

本来、感謝しなければならない
ことを当たり前に受け取り過ぎて
いたように思います。

命をいただくという最大の恩を受けた
ところから始まり、ずっと、いただき
続けています。

この恩を当たり前と思ってしまっては
いけませんね。

与える方は、当たり前のものとして
与えているのかもしれません。

受け取る方は、当たり前の顔をして
受け取るのではなく、常に感謝の
気持ちを忘れずにいたいものです。

研修では、両親から受けた「恩」のみ
を思い出すということをしました。

感謝にフォーカスを当てて、「恩」を
思い出します。

怨念の「怨」ではなく、御恩の「恩」
ですよ。

(笑)。

わたしは、ありがたいことに、愛情
いっぱいに育てていただきました。

何を思い出しても、恨み心は出て
きません。

ただ、感謝を思い出していると、
いつも反省や後悔が出てきます。

「あんなことをするべきではなかっ
た」、「あんなことを言うべきでは
なかった」、「あんな態度を取る
べきではなかった」。

このような反省が出てきます。

「感謝、感謝」と思い、受けた恩を思い
出すのですが、最終的には反省点が
出てきます。

それで良いのかもしれません。

感謝の思いは、反省の後に出てくる
ものです。

人に愛を与える人になりたいと
思ったら、感謝できる人に
ならなければなりません。

感謝ができる人とは、反省ができる
人です。

反省の気持ちが感謝に繋がり、
その感謝が他の人に対する
愛を生みます。

そのため、両親のことを考えて反省が
浮かんでくるのは、あながち間違った
方向ではないのかもしれません。

この研修に出てから、「感謝している」
と、簡単には言えなくなりました。

自分が非常に浅いところで、「感謝」を
感じていたことを知ったからです。

何事にも「段階」というものが
あります。

白帯、黄色帯、青帯、緑帯、茶帯、
黒帯というような段階があるように。

「感謝」にもこの段階というものが
あるのです。

段階があることに気がついた私は、
ようやく白帯をつけることが
できた段階です。

毎日の精進を通して、黒帯の感謝が
できるようになりたいなと
思います。

なぜ、黒帯の感謝をしたいのか、
分かりませんが、心がそれを
求めています。

反省の達人になって、感謝の黒帯を
取って、愛深き人を目指します。

何か感じることがあれば幸いです。

最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。

本日の一転語

~感謝と報恩~

「『生かされている自分』ということ
に気がつかなければ、『愛を与える』
というところに思い至らないので
す。

生かされているから、『感謝の心』が
出てきます。

また、生かされているから、『報恩の
心』が出てくるのです。」
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