Qアノン もしくはオウム前夜

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赤ん坊は親が用意した食事を口にする。それは、親が安全な食事を赤ちゃんに用意しているから成り立っている。僕らが大きくなれたのは無性の愛を保証してくれる「親」の庇護があったからだ。

情報社会において、発信者はそんな親ばかりではない。そして、まず、僕らも赤ちゃんではないことから始めよう。

さて、有名な人が言ってるから、とその情報を無批判で鵜呑みにできるほど安心安全な情報社会ではない。これを大前提にしておかないと話が進まない。

情報は常に「雑多な情報」と言われている。事実を蔑ろにして憶測や推論で膨らんだ声の大きな誰かの幻想に晒されていることを大前提にして日々過ごしている。

昨今のQアノンがらみの陰謀論だが、その内容はとても「尤もらしく」「刺激的」だが、内容の真偽には触れないことにしている。

ただ、これってオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした時と似ているな、と危機感を感じている。

失敗を誰かのせいにしたり、逆恨みしたり。自分を正しいと主張するために都合のいい要件を集め理論武装する。高校生ぐらいまでなら、まぁ許されることをいい大人がやっている。

しかも、陰謀説を根拠に犯罪ばかりではなく政治が動かされてる。

ちっぽけな個人がこんな大きな流れを変えることはできない。でも、間違った情報を無批判に信じ込んで行動を起こし、それが犯罪につながってしまったら目も当てられない。被害者にだって絶対なりたくない。

そんな時に、上祐史浩さんと浅草キッドの博士の動画を見た。

個人的に宗教団体をどうのこうの言うつもりもないし、賛同も拒否もしない。ただ、同じ時代を生きてきて、僕は外側からしか見ていないけど、内側から見てきた彼の分析をこのタイミングで拝見できてよかった。

イラク戦争の時、ブッシュ大統領の演説で「Justice」と言う単語を拾いとって耳を疑ったことを思い出した。

タロット占いの「正義」のカードには、片手に剣、片手に天秤を持った女神が描かれている。

ただし、彼女の天秤は常に動いていて止まることがない、とされている。つまり、正義の神様は「どちらが正しいか」を判断しない。故に、正しさとはお互いの主張を聞き続ける行為(対話)のことを指している。

「私はあなたの言い分には真っ向反対だが、あなたの弁論は100%保証する」そんなフランス人の語る自由が私を支えている。

なんのこっちゃ?だが、時代的にきな臭い雰囲気が漂っているので、ちょっと注意しときましょう、と言う感じです。

ま、取り越し苦労になるといいな。
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