親しくさせてもらっている方の言葉に
「人生みな平等」
という言葉があります。
私も、つくづくそうだなぁ、と思います。
「いや、平等なんかじゃないよ」というご指摘を受けそうですが、そういう考えでいる方は、チャンスを見過ごしてしまいそうです。
私も正確には、みなが平等に幸せになる、という風には思ってはいません。
ただし、皆に、平等に、同じ数(多少の増減はあるかも)だけ、チャンスは回ってくる、とは思っています。
でも、チャンスは大皿に盛られて、
「はいどうぞ!大チャンスです、食べなきゃ損だよ!」
なんて言ってくれたりはしません。
一見、石ころとかわらず、見過ごしてしまいそうだけれど、磨いてみたらダイヤになる、
チャンスって大抵そういうもんです。
「平等じゃない」派の多くは、原石のチャンスを見送り続けて、
ついには人生の最後に
「俺にはチャンスが回って来なかった」
なんて言っていたりします。
さて、最近ファミリー層にも大人気の回転寿司。
お皿がレールの上で回って、何周も何周も回ります。
人生のチャンスも、同じようにレールの上を流れて、目の前を流れて行くようなものだけれど、
回転寿司のレールとの一番の違いは、そのレールは一方通行で、一度自分の前を通りすぎたら、もう戻ってはこないという事です。
先ほども書いたように、目に見えて良い皿なんて、なかなかありません。
ちょっと干からびかけたマグロの皿を取って、ひっくり返してみると、皿の裏に
「大当たり!」の文字。
多分チャンスってそんなもんです。
だからと言って、やたらめったら皿を取れば良いって訳でもありません、
予算もあるし、お腹のスペースにだって限りはある。
無駄な皿を取りすぎて、本来取るべき皿が流れて来た時には、もう取ることができない状態になっている事もある。
かと言って、慎重になりすぎて、
「もっと良い皿、もっと良い皿…」と見送り続けて、もうたいした皿が流れて来なくなってから、
「あぁ、あの時のあの皿を取っておけば良かったな」
なんて後悔したりします。
チャンスを掴もうとするとき、大抵人は、臆病になります。
無リスクのチャンスなどないから。
回転寿司だって、皿を取った時点でお金がかかる。
例えが変わって、ゲームのスーパーマリオの中で、
あなたが空中に浮くブロック(一定時間を過ぎると自動的に落ちる)の上に乗っているとします。
次のブロックにジャンプしなければ、先に進めない時、
「ジャンプしてうまく着地できなかったら死んでしまうじゃないか」
と言ってブロックの上にとどまり続ける人が、はたしているでしょうか?
そのブロックだって、一定時間乗っていると、勝手に落ちてしまうものですので。
マリオはジャンプして、死ぬかもしれないし、進むかもしれない。
でもジャンプしなかったら、間違いなく何秒後かに死ぬ。
こんな当たり前の事でも、自分の人生の事となると、そのブロックの上にとどまり続ける人って、結構多数派だったりします。
本当は、何かをするリスクの方が、何もしないリスクよりもマシな場合が多いのですが…。
ストリートで戦う時には、
いとしさと切なさとここを強さが必要なように、
チャンスをものにするには、
慎重さと大胆さ、その両方のバランスが大事なようです。
※私は、マンション投資で自分の未来を切り開く事が出来ました。
お役に立てる事があればご相談下さい^^