興味があることを何でも良いのでやろう

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興味とか関心とかがある人はそれをやったほうがいいと。学びが促進されますし、それだけでなく生きているなあってまさに実感できる。自己充足ってやつですね。他の目的でなくそれ自体で得られると。

では、興味とか関心とかがあまりないとか、趣味がないとかって人はどうすればいいか?こっちがよくあるかなと。それについて考えてみます。

1mmでもやりたいことをやろう

この手の人は、ハードルが高くて、何か役立つとか、誰かが良いって言わないとやらないんですよね。つまり、活動や行動のトリガースイッチが恐ろしく高い位置にあって押せないか、重くて固いのであっても押せない(笑)のではないかなと。

なので、この手の感じであれば「誰かがやっているところに入る」はわりといけたりします。それも嫌となると、逆に反動で自分で色々やり始めるはずなので、こじらせてしまうといかんのですけどね。

ちょっとでもやりたいとか、これどうなんだろうと思ったら調べるとか、そういう初手行動コストを限りなく下げると。選り好みというか、選ばないというか。あったらまずやるって感じにしていくことになるんですよね。

何も関心がない人はまずいない

言語化の話です。「自分は趣味もなくて」「そんなにこれって打ち込めるものがない」というのは、多くは言語化のミスです。実際は「あるのだけどいうと恥ずかしい」とか「いうことで相手のメリットがない」とか、結構理屈ベースとか、感情も少しはあると。でも、これ人向けですからね。

ここでいうのは「自分のためだけで、自分の話だけで、自分のことのみ」という世界観です。ってなるとき、そもそも何か生きている瞬間、仕事をしているだけでも、それ「興味全くないんですか?」ってことになる。本当にない人もいそうですが、そうなると仕事の質は激悪ですよね・・・。というか、成り立たない。嫌で嫌で「文章を書くんです」「やりたくないけどITの仕事してます」という人はあまりいないはずです。1mmくらいはやりたい要素がある。ちなみに、1mmとは根拠はなにもないですが、人の身長とかが160cmくらいあるというところで、100分の1未満くらいの意味合いを指しています(笑)

なので開拓というか開発というか。関心が勝手に育つってのはあまりなくて、それは実際には意識が無意識化されて育つだけですから。最初は意識しないと全然駄目かなと。これが色々なことをやってみるということになると。

なので、自分がもし「なんもこれっていうものがない」と思えば、それは言語化の問題であり、認識だけです。そう思ってしまうのが正しいのではなく、正しく認識できてないほうが高い。これ内省とか、色々入るのと、自分をどう見るかの見立てもあるので一人この手の人が一人でやるのはなかなか難しい。故に誰か信頼できる人とやったほうがいいかと。

興味を開拓していく先にメリットは多分ある

ここで多分というのは、役立つためにこれだ!ってのはないんですよ。

このエントリ、記事、ブログですよね、毎日書いていますが、これが誰かに役立つかは正直わからない。ですが、少なくとも僕はいやいや書いてないのと、まだAIにも書かせてない(笑)AIに書いてもらえればいいって人は何か、そのタスクをクリアしておけばいいとか、達成の感覚が僕とは違うんですよね。

打ち込んでいくことで、思考をしていくことで、会話をする感覚になるんですが、それってAIに任せる意味がないというか。文字や文章生成が苦手って意味で使うは全然ありですが、仮にそれでも「人間が、僕がですが、思考して、思いを巡らせて整理したり、気づく行為を奪って欲しい」とは全く思ってなくて。むしろそれはこっちのモノですからね。ってことに気づくことになってるわけです。

役立つとか、お金になるとかってものさしは否定しないですが、それだけしかないと、多分簡単に崩壊します。というか、僕は面白くないのでやらないです。それだけっていうのは。

という意味で、
・身体、心から楽しいとか、少しでも1mmでも楽しいと思えることをやろう
・ハードルを高くして理屈で考えない、誰かが言ってたとかではない。自分が思ったことをやろう。自分を大事にしよう。
・役立つとかはおいておいて自己充足があるとそこで自分になるので後で役立つとかは別問題になる。そして多分これは充足されるので心の健康となり、そこからさらに創造的になったりするので、むしろより役立つのかなと。

という感じでした。
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